甲斐の虎、武田信玄。戦国武将として、信長、秀吉、家康にも劣らない知名度を持つ信玄は戦国時代に水洗トイレを使用していたそうです。
日本で水洗トイレが普及しはじめたのは、下水道整備が進んだ戦後ですから信玄の水洗トイレは400年も時代を先取りしていました。しかし、どうして信玄は水洗トイレを導入したのでしょうか?
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武田信玄の水洗トイレは暗殺を避ける為に導入
信玄が水洗トイレを使用していたとする記述は甲陽軍鑑に出てきます。それによれば信玄は、敵に襲われないようトイレを六畳敷の畳間にして広く取り、隣接する浴室の縁の下から樋を通してウンチを水で流せるようにしたと書かれています。
また絶えず伽羅を焚いてトイレに臭気が残らないようにしていたそうです。こうしてみると、厳めしい顔をした信玄が、案外に清潔好きな人物のように思えて微笑ましくなりますが、実はそれだけではありませんでした。
信玄はトイレで訴訟などを決裁していたそうで、長時間トイレにいる事もあったようです。トイレは信玄専用なのでトイレが臭いだせば、中に信玄がいる事が敵に特定されてしまいます。
そこで信玄は絶えず伽羅を焚いて臭気を消し、自分がトイレにいるかどうか、外からは分からないようにしました。つまり、信玄は清潔好きなだけではなく自分の身を守る必要から、臭いが軽減できる水洗トイレを選択したのです。
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戦国時代は安らぎの場はトイレだけだった?
しかし、暗殺を警戒するならトイレに長居するのは矛盾しているのでは?と考える方もいるでしょう。
ただ、こうも考える事は出来ないでしょうか?
信玄にとって外からの視線を完全に排除できるトイレだけが落ち着ける場所だった。
甲斐武田氏は国人領主の独立性が強く、信玄が統治した30年あまりの間にも、何度も派閥争いが起きていますから、信玄は絶えず隙を見せないような緊張を強いられました。そんな緊張ばかりの生活の中で、唯一リラックスできるのがトイレだった。
こう考えると、トイレは広い方がいいし畳も敷いて冬でも冷たくない方が便利です。さらに、水洗にして臭いがしなくなればさらに良いというわけで信玄のトイレ熱はエスカレートしていき、倹約家に相応しくない豪華なトイレになったのかも知れません。
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戦国時代の危険だった野外のトイレ
信玄のトイレには水洗以外にも特徴があります。それは野外ではなく屋敷の内にあったという事でした。現在でこそ、トイレが室内にあるのは一般的になりましたが、下水道が普及していない昔は、トイレも汲み取り式で臭気も強いので家の外にあるのが普通でした。
しかし、トイレが室外にあるという事は、外敵に襲われやすくなる事を意味しています。なにより用を足すときには誰でも丸腰になりますし、イキんでいる間は全集中で動く事もできません。
古墳時代の皇族、住吉仲皇子はトイレに入っている時、側近である刺領巾に矛で突かれて暗殺されたそうです。刺領巾が矛を持っていても怪しまれなかったのは、住吉仲皇子を警護する役割だったからでしょう。
トイレの周辺に護衛をつけても、その護衛が裏切る可能性はゼロではないので、自然に高級貴族は外のトイレを避けるようになり、おまるで用を足し中身だけを家来に捨てさせるようになりました。
後に穴を掘ってし尿をくみ取る便所が発明されると、戦国大名は城内に汲み取り式の便所を設置し、やはり外に便所を設置しませんでした。
信玄の水洗式トイレもこの汲み取り式の流れですが、父親を駿河に追放し、息子を幽閉して殺すなど、かなりえげつない事をしている信玄は、トイレの臭気から居場所が特定されて暗殺される事を恐れ、トイレを水洗にして臭気を軽減し常に伽羅を焚いて、自分がいつトイレを使用しているか分からないようにしたのではないでしょうか?
武田信玄は健康状態を悟られたくなかった?
もうひとつ信玄が水洗トイレを選んだ理由を考えると、自分の健康状態を他人に知られたくなかったのではないか?という事があります。戦国時代の貴族や戦国大名は、おまるや汲み取り式のトイレで用を足していたと書きましたが、その理由は毎日、ウンチの状況を医者にチェックさせる為でもありました。
戦国大名の汲み取りトイレは引き出し式になっていて、毎日、取り出した時に侍医が検便していたそうです。ところが信玄のトイレは水洗なので検便が出来ません。これは健康状態に神経を使う人が多い戦国大名としては珍しいですが、信玄は医者に自分のウンチを調べられる事を嫌がった可能性もあります。
一説では、排泄された信玄のウンチは最終的に屋敷の外の鯉池に流れ込み、鯉の餌になっていたそうで本当なら徹底した秘匿がおこなわれていた事になります。
では、どうして信玄が医者にウンチを見られるのを嫌がったのか?
あくまでも想像ですが、若い頃から過度なストレスに見舞われた信玄は、あまりいい形のウンチをしていなかったせいではないかとも予想できます。
だから自分でもウンチを見たくないし、医者にも見せたくなかった。これらの事を総合すると、信玄が健康を無視してまで水洗トイレを選んだ理由が分かるような気がしませんか?
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日本史ライターkawausoの独り言
豪華な畳敷きの水洗トイレを使っていて、顔に似合わず繊細な清潔好きサンだったイメージの信玄公。しかし、信玄が敢えて豪華な水洗トイレにこだわった理由は清潔好きだけではなく、暗殺の回避や心の安らぎや、ウンコを見られたくないなど様々な理由が考えられるのです。
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