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武田信玄が水洗トイレを使っていた理由は暗殺を恐れたからだった!


 

甲斐の虎、武田信玄。戦国武将として、信長、秀吉、家康にも劣らない知名度を持つ信玄は戦国時代に水洗トイレを使用していたそうです。

 

日本で水洗トイレが普及しはじめたのは、下水道整備が進んだ戦後ですから信玄の水洗トイレは400年も時代を先取りしていました。しかし、どうして信玄は水洗トイレを導入したのでしょうか?

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武田信玄の水洗トイレは暗殺を避ける為に導入

真田丸 武田信玄

 

信玄が水洗トイレを使用していたとする記述は甲陽軍鑑に出てきます。それによれば信玄は、敵に襲われないようトイレを六畳敷の畳間にして広く取り、隣接する浴室の縁の下から(とい)を通してウンチを水で流せるようにしたと書かれています。

 

また絶えず伽羅(きゃら)を焚いてトイレに臭気が残らないようにしていたそうです。こうしてみると、厳めしい顔をした信玄が、案外に清潔好きな人物のように思えて微笑ましくなりますが、実はそれだけではありませんでした。

 

武田信玄が作った甲陽軍鑑

 

信玄はトイレで訴訟などを決裁していたそうで、長時間トイレにいる事もあったようです。トイレは信玄専用なのでトイレが臭いだせば、中に信玄がいる事が敵に特定されてしまいます。

 

そこで信玄は絶えず伽羅を焚いて臭気を消し、自分がトイレにいるかどうか、外からは分からないようにしました。つまり、信玄は清潔好きなだけではなく自分の身を守る必要から、臭いが軽減できる水洗トイレを選択したのです。

 

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武田信玄

 

 

戦国時代は安らぎの場はトイレだけだった?

石垣を登る忍者

 

しかし、暗殺を警戒するならトイレに長居するのは矛盾しているのでは?と考える方もいるでしょう。

 

ただ、こうも考える事は出来ないでしょうか?

信玄にとって外からの視線を完全に排除できるトイレだけが落ち着ける場所だった。

 

軍議(日本史)モブb

 

甲斐武田氏は国人領主の独立性が強く、信玄が統治した30年あまりの間にも、何度も派閥争いが起きていますから、信玄は絶えず隙を見せないような緊張を強いられました。そんな緊張ばかりの生活の中で、唯一リラックスできるのがトイレだった。

 

金山のおかげで金持ちだった武田信玄

 

こう考えると、トイレは広い方がいいし畳も敷いて冬でも冷たくない方が便利です。さらに、水洗にして臭いがしなくなればさらに良いというわけで信玄のトイレ熱はエスカレートしていき、倹約家に相応しくない豪華なトイレになったのかも知れません。

 

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戦国時代の危険だった野外のトイレ

戦国時代の武家屋敷a

 

信玄のトイレには水洗以外にも特徴があります。それは野外ではなく屋敷の内にあったという事でした。現在でこそ、トイレが室内にあるのは一般的になりましたが、下水道が普及していない昔は、トイレも汲み取り式で臭気も強いので家の外にあるのが普通でした。

 

しかし、トイレが室外にあるという事は、外敵に襲われやすくなる事を意味しています。なにより用を足すときには誰でも丸腰になりますし、イキんでいる間は全集中で動く事もできません。

 

カムヤマト(日本神話)

 

古墳時代の皇族、住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)はトイレに入っている時、側近である刺領巾(そばかり)に矛で突かれて暗殺されたそうです。刺領巾が矛を持っていても怪しまれなかったのは、住吉仲皇子を警護する役割だったからでしょう。

 

トイレの周辺に護衛をつけても、その護衛が裏切る可能性はゼロではないので、自然に高級貴族は外のトイレを避けるようになり、おまるで用を足し中身だけを家来に捨てさせるようになりました。

 

今川義元

 

後に穴を掘ってし尿をくみ取る便所が発明されると、戦国大名は城内に汲み取り式の便所を設置し、やはり外に便所を設置しませんでした。

 

武田信玄

 

信玄の水洗式トイレもこの汲み取り式の流れですが、父親を駿河に追放し、息子を幽閉して殺すなど、かなりえげつない事をしている信玄は、トイレの臭気から居場所が特定されて暗殺される事を恐れ、トイレを水洗にして臭気を軽減し常に伽羅を焚いて、自分がいつトイレを使用しているか分からないようにしたのではないでしょうか?

 

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武田信玄は健康状態を悟られたくなかった?

徳川家康をボコボコにする武田信玄

 

もうひとつ信玄が水洗トイレを選んだ理由を考えると、自分の健康状態を他人に知られたくなかったのではないか?という事があります。戦国時代の貴族や戦国大名は、おまるや汲み取り式のトイレで用を足していたと書きましたが、その理由は毎日、ウンチの状況を医者にチェックさせる為でもありました。

 

戦国大名の汲み取りトイレは引き出し式になっていて、毎日、取り出した時に侍医(じい)が検便していたそうです。ところが信玄のトイレは水洗なので検便が出来ません。これは健康状態に神経を使う人が多い戦国大名としては珍しいですが、信玄は医者に自分のウンチを調べられる事を嫌がった可能性もあります。

 

一説では、排泄(はいせつ)された信玄のウンチは最終的に屋敷の外の鯉池に流れ込み、鯉の餌になっていたそうで本当なら徹底した秘匿がおこなわれていた事になります。

 

武田信玄死去

 

では、どうして信玄が医者にウンチを見られるのを嫌がったのか?

 

あくまでも想像ですが、若い頃から過度なストレスに見舞われた信玄は、あまりいい形のウンチをしていなかったせいではないかとも予想できます。

 

だから自分でもウンチを見たくないし、医者にも見せたくなかった。これらの事を総合すると、信玄が健康を無視してまで水洗トイレを選んだ理由が分かるような気がしませんか?

 

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はじめての戦国時代

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

豪華な畳敷きの水洗トイレを使っていて、顔に似合わず繊細な清潔好きサンだったイメージの信玄公。しかし、信玄が敢えて豪華な水洗トイレにこだわった理由は清潔好きだけではなく、暗殺の回避や心の安らぎや、ウンコを見られたくないなど様々な理由が考えられるのです。

 

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カワウソ編集長

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