万が一の為の金
しかし、地獄の沙汰もカネ次第という言葉通り、戦場で最後にモノを言うのはカネだったりもします。その心得で、絶対にバレないように兜の中にカバーを貼って、その中に小判一枚を折り曲げて忍ばせている武士もいました。これなら、兜を盗まれない限りカネを取られる心配はありません。いつも兜をかぶらないといけないので、しんどい話ではありますが…
さて、この兜、主が戦死したのか、お金が隠されている事を知らないままに兜が盗まれたのか、現代まで伝わり、とある時代考証家が骨董屋で購入。色々調べているとカバーの内側に何かあるのに気づき、剥がすと、そこから折れ曲がった小判が出てきたそうです。
戦国の頃の小判なので金の含有率も高く、かなり高値で売れたとか何とか…
陣中の盗みは厳罰だが・・・
泥棒だらけの戦国時代ですが、陣中での盗みは軍律で見せしめとして死罪と決められていました。織田信長は、例え一文でも盗めば斬罪として、いわゆる「1銭斬り」とされる厳しい軍律を課して、勢力が拡大していく織田軍団に悪評が立たないように苦心しています。
ただ、自軍の中では泥棒禁止でも、それが敵陣では一定の条件下で、むしろ泥棒は奨励されもしたのですから、色々倫理観が崩壊して、泥棒に手を染める兵士も後を絶たなかったのでしょう。
戦国時代ライターkawausoの独り言
合戦の脅威とはズバリ!
味方同士で、武器や防具の盗難があり金品は殺されて奪われるケースもあった。でした。戦国時代も終わり島原の乱の頃ですが、その頃でさえ「陣中は盗人の巣と言うぞ、あまり目立つ刀は仕舞って置け」と傾奇者の若侍に注意するベテランの武士がいたそうです。
その傾奇者は忠告を意に介さず「戦場では目立ってなんぼよ!」とそのまま鞘を金で飾った太刀を差して戦いますが、戦闘の最中に鞘の金の部分だけをごっそり剥がされたようです。合戦の最中に盗みができるような相手では、もう、どうにも防ぎようがありませんね。
参考:〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫) 文庫 2007/3/15東郷 隆 (著), 上田 信 (イラスト)
関連記事:戦国時代合戦、足軽は武将に勝てたの?