戦国時代を代表する梟雄、斎藤道三、下克上の為に手段を択ばなかった冷酷さからマムシの道三として知られる彼ですが、一方で婿である信長の才能を見抜いて娘の帰蝶を嫁に出したとも言われています。その婿信長を気にする道三の書状が今回、発見されました。
道三の書状は水戸私立博物館に個人から寄託されたもの
今回、発見された書状は、水戸市立博物館に個人が寄託したもので、東京大学史料編纂所の村井准教授が調査したところ、書状は現在の岐阜県美濃地方を治めていた戦国大名、斎藤道三が近隣地域の領主に宛てたもので内容や書名から1552年頃に書かれたと見られるそうです。
婿の信長の事を気に掛ける道三
書状の中で道三は信長について「信長はあなたと親しいという話で大変嬉しく思う。若造で至らない点もあるが末永くつきあって欲しい」と書かれていて、その頃、自身の婿になった信長を紹介し、仲良くして欲しいと信長の評判を気に掛けた内容でした。信長公記によると、道三は、うつけと悪評があった信長と会見して、その非凡さを見抜き、愛娘の帰蝶を与えて厚遇した事は知られていますが、今回の史料はそれを裏付けた形です。村井准教授によると、道三の書状はあまり残っていない上に信長に言及している事も珍しく、貴重な資料だと述べています。
信長も道三を強く信じた
道三が惚れ込んだ信長ですが、そんな信長も舅である道三を信じました。1554年の村木砦の戦いで、信長は味方の水野金吾が立てこもる緒川城を救うために本拠地である那古野城を出陣しますが、城を空にすると清須城の織田信友が攻撃を仕掛けてくる恐れがあったので、道三に手紙を送って那古野城を守るための援軍を要請します。道三は、信長の要請に応えて安藤守就を大将とする1000人の兵力を派遣しますが、信長は道三の援軍を少しも疑わずに礼を述べ、堂々と道三の援軍に背中を向けて出陣。今川方の村木砦を攻略して緒川城を解放したのです。裏切りが当たり前の戦国時代、信長がいかに舅である道三を信じたかが、ここからも窺えます。
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