戦国時代の戦い方を変えた村上義清の凄さ


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武田信玄の侵略を何度も阻止する天才戦術家・村上義清

 

村上義清は戦国時代の信濃の名将で、武田信玄を二度も破り手傷を負わせた事で知られます。そんな村上義清は戦国時代の戦い方を変える部隊編成を編み出した事が、乃至政彦 戦国の陣形に出てきます。

 

村上義清

 

村上義清は天文17年(1548年)上田原の戦いにおいて、物量に勝る信玄に追い詰められ起死回生の一手を打ちました。それが、600名の部隊を編制し、先頭を150名の弓隊、中間を50名の鉄砲隊、後詰を200の騎兵と200の槍歩兵にして、戦況に関係なく武田信玄(この時点では晴信)の首を獲るものです。

 

この時代、兵種毎に部隊を編成する概念はなく、村上義清率いる600名の決死隊は信玄の旗本本陣に殺到し、信玄に深手を負わせたと記録されています。この鉄砲隊と弓隊、騎兵、槍隊の組み合わせは、村上義清が亡命した上杉謙信に伝わり、謙信は義清の兵種を採用。

 

ここから上杉軍団は無敵の強さを誇るようになり、同様の兵種が北条氏、武田氏へも伝来し、その後西国へ伝わり、朝鮮の役でも利用されて徳川時代に伝承されました。

 

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三国同盟を潰したあの男

 

 

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カワウソ編集長

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