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戦国時代の軍船はどんな構造だった?

17/04/2021


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国時代の海戦の変化

 

戦国時代には、海戦も大きく変化しています。初期には、源平合戦(げんぺいかっせん)と大きく変わらず敵味方双方ともに小型の船舶を繰り出し、火矢や鉄砲で敵を攻撃して後に、敵の船に乗り移って白兵戦に転じていきました。

 

初期海戦においては、敵の首を獲るよりは、敵を船から突き落として船を奪取する事に重点が置かれているようです。また、武士は海戦に不慣れなので、それぞれの大名は海賊衆を味方に引き込んで戦わせており、合戦は海賊同士の戦いになっていきました。

 

しかし、戦国時代も後期を過ぎると造船技術の進歩で安宅船が登場し状況は変化します。安宅船は敵船に接近せずに、火矢や鉄砲、大砲で攻撃するアウトレンジ戦法を取るようになりました。

 

さらに、乗っ取られる可能性が小さい安宅船には海賊ではなく戦国武将がそのまま乗り込むようになり、海戦は白兵戦から海上封鎖へとシフトしていくようになります。

 

三国同盟を潰したあの男

 

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は戦国時代の軍船について紹介しました。造船技術の進歩により安宅船が出現し、海戦は白兵戦から安宅船や関船による火矢や鉄砲の撃ちあいへと変化します。

 

第二次木津川の戦いも、信長の鉄甲船は河口に陣取り、毛利水軍(もうりすいぐん)の関船や小早船に砲撃を浴びせて追い払っただけであり、戦闘が白兵戦から飛び道具を使った戦いに変化している様子が窺えます。

 

参考文献:図解戦国武将 池上良太著 新紀元社

 

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織田信長スペシャル

 

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
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