戦国時代の海戦の変化
戦国時代には、海戦も大きく変化しています。初期には、源平合戦と大きく変わらず敵味方双方ともに小型の船舶を繰り出し、火矢や鉄砲で敵を攻撃して後に、敵の船に乗り移って白兵戦に転じていきました。
初期海戦においては、敵の首を獲るよりは、敵を船から突き落として船を奪取する事に重点が置かれているようです。また、武士は海戦に不慣れなので、それぞれの大名は海賊衆を味方に引き込んで戦わせており、合戦は海賊同士の戦いになっていきました。
しかし、戦国時代も後期を過ぎると造船技術の進歩で安宅船が登場し状況は変化します。安宅船は敵船に接近せずに、火矢や鉄砲、大砲で攻撃するアウトレンジ戦法を取るようになりました。
さらに、乗っ取られる可能性が小さい安宅船には海賊ではなく戦国武将がそのまま乗り込むようになり、海戦は白兵戦から海上封鎖へとシフトしていくようになります。
戦国時代ライターkawausoの独り言
今回は戦国時代の軍船について紹介しました。造船技術の進歩により安宅船が出現し、海戦は白兵戦から安宅船や関船による火矢や鉄砲の撃ちあいへと変化します。
第二次木津川の戦いも、信長の鉄甲船は河口に陣取り、毛利水軍の関船や小早船に砲撃を浴びせて追い払っただけであり、戦闘が白兵戦から飛び道具を使った戦いに変化している様子が窺えます。
参考文献:図解戦国武将 池上良太著 新紀元社
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