ゼロ戦は、零式艦上戦闘機の略で1940年、大東亜戦争開戦の前年に誕生しました。戦争の前半で大きな戦果を挙げたゼロ戦ですが、一体何が優れているのでしょうか?
今回のほのぼの日本史では、ゼロ戦の何が凄かったのかを解説してみます。
零戦の名前の由来は
零戦の由来は、製造された1940年が皇紀二六〇〇年に当たる事に関係しています。
皇紀とは、神武天皇が橿原宮で即位したとされる紀元前660年を元年とする数え方であり、この計算方法だと1940年は2600年になるので零式戦闘機ゼロ戦となりました。
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零戦はどんな目的で製造された?
日華事変以降、日本は中華民国の首都であった南京を陥落させましたが、国民党総裁の蒋介石は南京を引き払い奥地の重慶に入り込んで徹底抗戦に転じていました。
日本軍は重慶を爆撃すべく、九六式陸上攻撃機を投入していましたが当時は、九六式攻撃機を護衛する航行能力を持つ戦闘機が存在せず、ソビエトや米英の戦闘機の援助を受けた中華民国空軍に撃墜される事が多くなっていました。
事態を打開すべく日本海軍は技術者の堀越二郎に
① | 爆撃機に匹敵する航行能力 |
② | ドッグファイトに対応する操縦性 |
③ | 敵機を撃墜できる火力 |
この3要素を兼ね備えた戦闘機の製造を依頼したのです。
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たちはだかるエンジン技術の壁
日本海軍の要求は当時の日本の技術水準では不可能でした。極端な話、航行能力も操縦性能も火力も強力なエンジンさえ製造できれば実現可能ですが、強力なエンジンは日本で特に遅れている分野であり、それは短期間でなんとかする事が難しい分野でした。
堀越二郎は悩みに悩んだ結果として、戦闘機の重さを極限まで削る事を考えます。それは、全ての防御と耐久性を全て犠牲にし、火力と航続距離と運動性能に全振りし、パイロットの技術に依存した日本らしいといえば日本らしい設計でした。
全振りで得られたゼロ戦の性能
ゼロ戦の初陣は1940年、中国大陸における空中戦でした。
大陸上空を飛行していたゼロ戦13機に、中華民国のソ連製戦闘機、I-15、I-16が襲い掛かったのです。中国空軍は27機でしたがゼロ戦は無傷で全機撃墜しました。
この事件は、中国にも欧米にも衝撃を与えましたが、日本人ごときに自分達を上回る航空機が製造できるわけがないと信じていたアメリカはニュースをデマと決めつけゼロ戦の調査が遅れました。こうして、ゼロ戦は大東亜戦争の初期において英米の航空機を次々と撃墜したのです。
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ワンショットライター
零戦は耐久力の問題で垂直方向の荷重に耐えられない弱点があり、急降下による回避が不可能でしたが、水平方向の旋回能力は抜群で操縦もシンプルであった事から、経験を積んだ熟練パイロットに取っては扱いやすい機体でした。
大戦初期はゼロ戦に対抗できる速度を持つ敵戦闘機はなく、被弾するリスクも低いので、まさに「当たらなければどうという事はない」と大空の王者となります。
しかし、エンジン性能で勝るアメリカ軍は、すぐにゼロ戦並の速度と後続性能、さらに火力と防御力を備えた戦闘機を繰り出してきました。アメリカのパイロットは、急降下で離脱できないゼロ戦の弱点をついて、背後にピッタリついて機関銃を乱射し無数のゼロ戦を撃墜させたのです。
一発でも被弾すれば、すぐ炎上するゼロ戦は「ワンショットライター」と揶揄されスコア稼ぎの標的とされました。
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明暗を分けた安全性の差
アメリカ軍は優秀なエンジンの性能と、豊富な物量を戦闘機に反映させ、火力や操縦性、航続性能にプラスして防御力も強化しました。もちろん被弾してもパイロットが死なないように安全性を強化したのです。
この点について戦後、アメリカは人命尊重の精神が根付き、日本はそうではなかったと批判する論調が多かったのですが、実際はヒューマニズムというより、優秀なパイロットの損失を防ぐためと考えられていました。
1人のパイロットを熟練させるには、戦闘機一機分以上の時間とコストがかかるので、出来る限り戦死させない方法を取る方が合理的でもあったのです。
逆に日本は人的資源を軽んじる傾向があり、長年の中国戦線で培った熟練パイロットも、ゼロ戦の貧弱な防御力のせいで次々と失う事になりました。
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日本史ライターkawausoの独り言
ゼロ戦は防御力を犠牲にし航続性能と火力と水平方向の操縦性を高めた熟練パイロットを必要とする戦闘機でした。しかし防御力を極限まで削った結果、ゼロ戦に匹敵する敵戦闘機に対し脆弱になり次々に熟練パイロットを失って、本来のゼロ戦の性能を維持する事も出来なくなりました。
ゼロ戦は良くも悪くも日本的な考えが色濃く出てしまった戦闘機と言えるのかも知れません。
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