広告

扇は日本で発明されたって本当?史上初のMADE IN JAPANを解説

09/12/2021


今川義元

 

噺家(はなしか)の小道具であり、日本舞踊にも欠かせないアイテムと言えば扇です。実はこの扇、日本で発明されて世界中に広まったってご存知でしたか?今回は日本でどのように扇が生まれたかを解説してみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



扇は携帯用木簡だった

魏晋世語(書類)

 

現在の扇はあおいで風を送るための道具ですが、最初に誕生した扇には風を送る機能はありませんでした。紙が貴重だった時代、日本では薄く切った木簡に文字を書いていましたが、一枚の木簡に書ける文字数は限られるので、その内に複数の木簡を糸で(つづ)って携帯するようになります。これは檜扇(ひおうぎ)と呼ばれ、古代のメモ帳として平城京跡などの遺跡から大量に発掘されています。

 

元々は、木簡を要の部分で1つに束ねて折りたためるようにして、上部を糸で綴じただけの檜扇でしたが、コンパクトで機能的なので貴族の小物と化していき、文字ではなく表面に絵が描かれたり、装飾が施されるなどメモ帳としての機能を越えていきました。

 

関連記事:【日本最大ミステリー遂に解明か?】邪馬台国・卑弥呼の正体につながる新たな手がかりを発見!

関連記事:聖徳太子は実在するの?日本古代史上の巨人を考える

 

ほのぼの日本史Youtubeチャンネル

 

檜扇に和紙を張って扇が誕生する

各地を放浪し続けた今川氏真

 

檜扇が装飾化すると、真夏には何となく広げてあおぐ貴族も出てきたのでしょう。しかし、木簡を綴っただけの檜扇ではあおいだ所で大して涼しくありません。

 

中国からは、すでに団扇(うちわ)も伝来していたので団扇でおあげばいいのではありますが、団扇は折り畳みできないのでかさばり、仕事中にあおぐのも美しくありませんでした。そこで、木簡ではなく竹の骨組みに和紙を張り要で綴じて広げた「蝙蝠(こうもり)」と呼ばれるものが誕生します。これが現在の扇の元祖でした。

 

関連記事:奈良時代はフェミニズムの時代だったの?女帝は太陽だった?

関連記事:女帝・武則天は本当に稀代の悪女だったのか?則天武后の実像に迫る!

 

大和朝廷

 

 

どうして扇を蝙蝠と言うのか?

kawauso

 

どうして、扇を蝙蝠と呼んだのでしょうか?

一説では、蝙蝠の羽を参考にして作られたからと言われていますが、それよりもシンプルに「紙張(かわば)り」が「こうもり」に転訛(てんか)したという説も有力です。元々、蝙蝠の古語は「かはほり」でこれは「皮張り」の意味であり、紙張りと似ていて、皮張りが先か、紙張りが先か、まだ判然としないようです。

 

関連記事:天平の大疫病が庶民を豊かにした?アフターコロナを考える

関連記事:【衝撃】奈良が衰退した理由が思い当たりすぎてゾッとする

 

ながら日本史

 

 

中国に渡り唐扇として逆輸入された扇

西太后

 

最初の頃、扇は片面に和紙を張っただけで骨の数も5本程度しかなく、使用も貴族と僧侶だけに限られていて、儀式や遊戯用とされていましたが、この片面張りの扇が鎌倉時代頃に中国に逆輸入され、紙を両面に張り骨の数も多い唐扇(とうせん)として日本に逆輸入されます。

 

やがて国内で唐扇を模倣した扇造りが始まり、室町時代には庶民にも扇の使用が解禁となり、伝統芸能の中にも取り入れられるようになりました。

 

関連記事:足利義満はどんな人?強きを助け弱きを挫くベタな権力者

関連記事:【アンゴルモア元寇合戦記】鎌倉時代の文化的特徴とは?

 

 

戦国時代の都市伝説特集

 

 

室町時代には広く普及

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

では、扇はいつ頃に普及したのでしょうか?

 

室町時代前期の公家、一条兼良(いちじょうかねよし)桃華蘂葉(とうかずいよう)の記述には、「束帯(そくたい)の時には、夏でも檜扇を持つ、衣冠(いかん)直衣(のうし)の時は非常に暑い場合には蝙蝠でも問題ないが、老人は檜扇を持つ。最近は春夏秋冬を問わず蝙蝠を持つ者がいて良くない事だ」

 

西遊記巻物 書物_書類

 

このような記述が登場し、すでに貴族の間で扇がかなり普及している事が分かります。ちなみに束帯というのは最上級の礼服で、衣冠や直衣はそれよりは少し落ちるフォーマルウェアと考える事が出来ます。正式な衣装を着たら、扇であおぐのはみっともないと兼良は考えている事が分かりますね。

 

関連記事:くじ引きで選ばれた室町時代の将軍「足利義教」は恐怖の大王だった!

関連記事:陰陽師はどんな仕事?公務員から呪術廻戦に転換!政治を操った奇妙な人々

 

ほのぼの日本史

 

 

海を渡りカルメンの小道具になる扇

ガレオン船(世界史)

 

やがて扇には表面の和紙に美しい絵が描かれたり、金箔や銀箔をおして高価な贈答品となり、日本刀や屏風などと共に中国に輸出されました。再輸出です。

戦国時代になると、大航海時代を迎えたスペイン、ポルトガルが日本や中国の扇を独自の文化として受容し欧州の貴婦人の小道具として大流行します。例えばスペイン南部のアンダルシア地方の舞踊、カルメンでは踊りの小道具として「アバニコ」と呼ばれる扇が使われました。このように日本で誕生した扇は世界中で愛用される小道具となったのです。

 

関連記事:日本人奴隷がオランダとポルトガルの戦争に参加していた

関連記事:スペインが没落した本当の理由が深すぎた!

 

はじめての戦国時代

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は扇の歴史について解説してみました。

 

元々は、薄く切った木簡を糸で綴ってメモ帳代わりとしたものが檜扇と呼ばれていましたが、やがて木簡に代わり竹に和紙を張ったものが蝙蝠と呼ばれ、現代の扇の原型となっていきます。

 

扇は風を送るだけではなく、口元を隠したり、落語や講談、能、狂言の小道具として使われたり、遊び道具や応援のアイテムとなるなど、日本文化に欠く事ができない存在となりました。

 

やがて、コンパクトで機能的な扇は輸出品として中国、さらに戦国時代になると、スペイン、ポルトガルに輸出されて世界中で愛用される存在になったのです。まさに扇は世界に初めて認められたメイドインジャパンと言えるでしょう。

 

関連記事:戦国時代、フランス、ドイツ、イタリアが日本に来なかった理由は?

関連記事:黒砂糖だけじゃない!幕末薩摩藩のあの手この手の資金調達方法!

 

アンゴルモア合戦記の特集

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-平安時代