ほのぼの日本史をご覧の皆さん、今週も一週間お疲れ様でした。今週のお疲れキャラも信長さんです。
信長と言えば本能寺を含め燃やすのも燃えるのも好きな人ですがそれについて面白いお話があります。信長は父の信秀と同じように生涯に何度も居城を変更しました。最初は那古野城から始まり、清須城、小牧山城、岐阜城、安土城そして本能寺で倒れなければ大坂に城を築いていたかも知れません。
しかし、信長の場合、引っ越すのは自分だけではなく家臣団もすべて引っ越しでした。ところが当時の武士は土地に執着していて引っ越しと言われてもおいそれとは動きません。信長がワザと尾張でボヤを出して身辺調査をしてみると馬廻衆が60人、弓衆60人の合計120人がそのまま妻子を置き去りにし安土に単身赴任している事実が分かります。
怒った信長は尾張に妻子をおいている弓衆60人の屋敷に火を放ちことごとく燃やしてしまいます。慌てた弓衆は妻子を連れて安土に避難。それを見ていた馬廻衆は自主的に妻子を連れて避難しました。このように信長は頭に血が上ると、割と簡単に燃やしてしまうタイプだったのです。
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