今週もお疲れ様!本能寺を含め燃やすのも燃えるのも好きな信長

18/02/2022


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



今週もお疲れ 織田信長

 

ほのぼの日本史をご覧の皆さん、今週も一週間お疲れ様でした。今週のお疲れキャラも信長さんです。

 

nobunaga-oda-Honnoji(本能寺の変の織田信長)

 

信長と言えば本能寺を含め燃やすのも燃えるのも好きな人ですがそれについて面白いお話があります。信長は父の信秀と同じように生涯に何度も居城を変更しました。最初は那古野城から始まり、清須城、小牧山城、岐阜城、安土城そして本能寺で倒れなければ大坂に城を築いていたかも知れません。

 

しかし、信長の場合、引っ越すのは自分だけではなく家臣団もすべて引っ越しでした。ところが当時の武士は土地に執着していて引っ越しと言われてもおいそれとは動きません。信長がワザと尾張でボヤを出して身辺調査をしてみると馬廻衆が60人、弓衆60人の合計120人がそのまま妻子を置き去りにし安土に単身赴任している事実が分かります。

 

怒った信長は尾張に妻子をおいている弓衆60人の屋敷に火を放ちことごとく燃やしてしまいます。慌てた弓衆は妻子を連れて安土に避難。それを見ていた馬廻衆は自主的に妻子を連れて避難しました。このように信長は頭に血が上ると、割と簡単に燃やしてしまうタイプだったのです。

 

関連記事:信長殺しの真犯人は誰だったのか?あえて本格ミステリー小説のノリで考えてみた

関連記事:信長の親衛隊「馬廻衆」はなぜ本能寺を守れなかったのか?結果として完璧な段取りだった明智光秀のクーデター!

 

本能寺の変の特集

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-おつかれさま