ほのぼの日本史チャンネルをご覧のみなさん、今週も一週間お疲れ様でした。今回のお疲れキャラは伊達政宗です。
死ぬ10年位前までは本気で天下を狙っていたらしい政宗。秀吉の奥州仕置きが気に食わないと極秘に葛西・大崎大一揆を扇動したらバレてしまい一揆鎮圧を命じられた上に罰として領地を移動させられるなど「痛い失敗」も多い人です。
そんな政宗の行状を回想した木村宇右衛門覚書には、政宗が持病の積聚に苦しみ、寵臣の片倉小十郎に頼んで外科手術を試みたという話があります。本当なら南蛮流に刃物を焼いてお腹を開くつもりだったようですが「それでは切腹みたいで縁起が悪い」と小十郎は馬小屋から丸い金具を持ち出して火で炙り、それで政宗の腹を開いたみたいなお話です。
いかに万能な小十郎でも、外科手術までは出来ないと思うので思い違いかホラ話だと思いますが政宗が積聚に苦しんだのは事実のようです。政宗を巡る逸話には、天然痘で片目が飛び出し人前に出る事を厭うようになった政宗に対し片倉小十郎が飛び出した目を刀でえぐり取り、政宗に覚悟を促したという話があります。もしかすると長い年月で外科手術の話が飛び出した目をえぐり取った話に変化したかも知れません。
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