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江戸時代の農民が支払っていた年貢は年1回じゃなかった?


コメントできるようになりました 織田信長

兵士(庶民・村人)

 

江戸時代の農民の年貢というと秋に収穫した作物を差し出しあとは豊年を祝う盆踊りで終わりのイメージです。しかし、現代も様々な名目で税金が取られるように江戸時代の年貢も秋ばかりではありませんでした。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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江戸時代の年貢の納め方

 

江戸時代の農民は年に3回分納で年貢を納めていました。年貢は夏と秋・冬の3回で夏は銭で年貢を納め、秋と冬は銭か農作物で納めていたそうです。幕府や藩にとって年貢は命の綱なので、決して取りはぐれがないように巧妙な制度を採用していました。毎年、藩や幕府では、村人ひとりひとりがその年に納める年貢を決定します。

 

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年貢を集める人

 

しかし、この年貢を集めるのはサムライではありません。各家を回って年貢を集めるのは村役人と言われた村の三役である名主(庄屋)組頭(年寄)百姓代という上級農民でした。このような村役人は藩や幕府により年貢完済の責任を背負っていて年貢を支払えない村人は村役人から借金して年貢を支払っていました。

 

 

幕府や藩が領収書である小手形を発行

 

幕府や藩は、年貢の支払いがあるごとに領収書である小手形を村役人に交付。全ての年貢を支払い終えた村役人は、3枚の手形を提出します。そこではじめて「年貢皆済目録」が交付され1年の義務が終了するのです。江戸時代の農民は秋の収穫物さえ支払えばOKと思っていましたが実際には年に三回も支払い義務があるとはなかなか大変ですね。

 

【参考文献】

大石 学「図解でスッと頭に入る江戸時代」昭文社 (2020/11/24)

 

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カワウソ編集長

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