「言葉遣いに気を付けなさい」と言われるように、言葉遣いとはものの言い方こと。これが中々言葉では表しにくく、丁寧語だの献上語だの、更には方言まで加わると多岐に渡り、中々正しい言葉遣いとは何か?と考えてしまいますね。でも、そんな風に考えていたのは現代の私たちだけではなかった?
そこで今回のテーマは「 戦国時代 の言葉遣い」。言葉遣いにはあの武将も悩んでいたかもしれない、そんなお話もご紹介しましょう。
この記事の目次
あの武将の上洛以降「言葉遣い」が変化した
現代において「 京言葉 」と呼ばれているものがありますが、この京言葉 、もっと言うと「雅な言葉遣い」は 戦国時代 にもあったとされます。それが大きく変化したと思われるのが、 戦国時代 。
織田信長 の 上洛 です。「 徒然草慰草 」によると、信長の 上洛 以降「高きもいやしきも都のうちのものいいみなかはりたることおほし」。上の人も下の人も、言葉の言い方が変化した、というのですね。つまり方言が広まった、とも言えるでしょう。
方言という存在はいつから存在していたのか?そもそも方言とは?
では方言とは?
一般的に方言というのは、地方独特の言葉、というものです。言葉の単語だけでなく、言い方、言い回し、発音の違いなども方言として扱われますね。
そしてこれらの対義として「標準語」というものがあります。基本的に標準語は私用する人間が多い言葉、首都圏、中央などで使用する言葉を標準語、と言います。京都が御上がいらっしゃる中央の場であった当時、 京言葉 こそが標準語、として……少なくとも京の都ではそういうものだと考えられてきたのでしょう。
戦国時代以前から、地方は見下されていた可能性
ここで平安時代末期に成立した「今昔物語集」を見てみると、東国からやってきた者たちがいるであろう牛車から「下品な声がする」と蔑むような話が載っています。
平安時代は 戦国時代 よりも前の時代ですが、その頃から中央からすると地方というのは田舎者の集まりであり、彼らの話し方は品がない、もしくは地方が分かる方言を使うような者は品の無い者と考えられていた、ということが分かりますね。
大河ドラマの「鎌倉殿の13人」でも、北条の姫君である政子が、都出身の頼朝に一目惚れしちゃう……という演出があるように、都はずばり都会、地方は田舎、という意識は往々にしてあったのかもしれません。
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戦国時代の言葉遣いから、中央政権の強さの低下が分かる?
では 戦国時代 に戻って、 織田信長 公の 上洛 以降に。前述したように、この信長の 上洛 以降、上の者も下の者も言葉の使い方が変化した。方言が広まったか、言い方のイントネーションが変化したか、それとも 京言葉 を使う者たちが減ったのか、変化したと言われるほどに信長の 上洛 以降は「 京言葉 を使う者たち」以外が京の都に多くなったか。
そのどれが該当するのかははっきりとは分かりませんが、どれであったとしても中央政権としての京の都、その権威は落ちているように感じます。もしかしたらそれを踏まえて「言葉遣いが変わった」と記したのかもしれません。言葉遣いから当時の権威がどこにあるか、それを示しているというのも何だか面白いですね。
あの有名武将も方言で苦労していた!?
だからと言って京の都全てが地方の武将たちを受け入れた訳ではないようで。現代でも地方から上京して、方言が出て恥ずかしい……なんて話を聞きますが、それは実は 戦国時代 でも同じだったようです。
「木村宇右衛門覚書」によると、伊達政宗が公卿たちに方言を揶揄われて悔しい思いをした……という話を見ることができます。有名な武将であっても、地方出身者は肩身の狭い思いをしていたのかもしれません。
もしかして当時は方言祭が起こっていた可能性も?
さてここで思い出して下さい。天下統一は豊臣秀吉が成し遂げ、彼の元に多くの各地の大名たちが集うこととなりました。場合によってはその各地の大名たちが集って手を組み、戦うこともあったのです。で、気になるのは方言。
現代の方言が 戦国時代 の方言そのままであるかどうかは分からないにしても、今よりも標準語に近いということはないでしょう。
そんな状態に各地の大名が一同に会して会話する?方言で?
下手をすると世界会議レベルで通訳が必要になる状況、そんな状態で意思疎通ができたのでしょうか!?
びっくり!あの独特な武士言葉はこの時代に作られていた!?
と、考えました所で浮上してきたのはある言葉。
「拙者、武士にござる!(一例)」
……そう、いわゆる武士言葉、と呼ばれる言葉。武士言葉はこれだけではありませんが、この武士言葉こそが当時の大名たちの「標準語」として扱われていたのではないか、と言われています。通じないのであれば通じる言葉を作ってしまえ!何ともクリエイティブな発想。
と言っても京の都では揶揄われないように 京言葉 を、後の江戸時代になると江戸城では三河弁を使わなければならなかったともされ…… 戦国時代 の武将たちと言っても、その言葉遣いには日々気を使っていたようですね。
戦国ひよこライター センのひとりごと
今回は 戦国時代 の言葉遣い、について。というよりも、主に方言に付いて語らせて頂きました。日本は小さな国とは言いますが、各地に驚くほど多数の方言があります。
一説には鹿児島弁は非常に発音が難しく難解で、スパイを見分けるのにも便利だったとか……?
これは特殊な例ですが、長く受け継がれてきた方言にはその地方独特の特徴があり、それが生まれるまでの経緯もあることでしょう。方言もまた一つの歴史の遺産として、なくならないようにしていきたいですね。ちゃぽん。
参考: 徒然草慰草 木村宇右衛門覚書