NHK大河ドラマ「光る君へ」で主人公・紫式部の弟として登場しているのが藤原惟規です。
紫式部が日記で不出来な弟と書いたせいで、長い間、物覚えが悪く、父の藤原為時に嘆かれた不肖の息子とされてきた惟規ですが、姉ほどの天才ではないにしても当時としては十分な秀才であったようです。
この記事の目次
藤原惟規は大河ドラマで誰が演じている?
大河ドラマで藤原惟規を演じるのは高杉真宙さんです。大河ドラマ以外では「仮面ライダー鎧武」や、グルメチキンレース「ゴチになります」。それにNHK連続テレビ小説「舞い上がれ」にも出演しました。三兄弟の長男で人見知りする性格だそうですが、演技力は高く、横浜映画祭やモナコ国際映画祭では賞を受賞しています。
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藤原惟規の妻は誰?
藤原惟規の妻は、大学寮で一緒だった藤原貞仲の娘です。惟規は妻との間に息子の藤原貞職をもうけていますが、妻は惟規よりもかなり年下だったらしく、それが気に入らなかった惟規は、斎院中将、源為理の娘と親密な関係で源為理の娘が女房を勤めている斎院の屋敷に何度も夜這いをかけにいき、ちょっとした事件を起こしています。
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藤原惟規の性格
藤原惟規の性格は明るく陽気で大雑把であったようです。姉の紫式部は嫉妬が渦巻く宮中で足を引っ張られないために、あえて教養がある事を隠して生活していたそうで、性格も控え目で真面目なタイプだったそうですが、惟規は姉と正反対だったのかも知れません。
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藤原為時と藤原兼家の関係
藤原為時と藤原兼家は先祖を遡ると200年ほど前の藤原冬嗣に辿り着きます。冬嗣の子の中で長男の藤原長良の子孫が兼家まで繋がり、六男の藤原良門の子孫が藤原為時に繋がりました。このように両者は先祖を同じくする親戚ですが良門の家系は没落して、兼家の家系は権力の頂点を極めているので、両者の関係は対等ではありません。
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紫式部の弟、藤原惟規
藤原惟規は、紫式部の弟、あるいは兄と言われています。一般には紫式部が優秀で惟規は無能だとされがちですが、その評価は紫式部が日記に書いた事で後世に伝わったのであり、それ以外の史料からは惟規を無能とする逸話はありません。むしろ惟規は30代で六位蔵人と呼ばれる天皇の秘書官の地位について同時に兵部丞も兼任。下級貴族ながら最終的には従五位下というギリギリ貴族と呼べる地位まで昇進しています。姉のような天才ではないにせよ、当時の社会では十分に秀才と呼べる人物だったと言えるでしょう。
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藤原惟規 何歳で死んだ
藤原惟規は生年がハッキリしていませんが、大体40歳前後で死去したようです。惟規は従五位下に授爵された後で役職を解任され無職となったので、その頃には越後守になっていた父の為時を頼って京都から北上しますが途中で病気になり、死去したとされています。
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紫式部の家族構成
大河ドラマでは、紫式部の兄弟としては弟の惟規しか登場しませんが、実際には惟規以外にも、惟通、定暹、そして名前が伝わっていない姉、さらに藤原信経に嫁いだ妹がいたそうで、6人兄弟だった事が分っています。大河ドラマでは姉と弟で寂しい感じですが、実際は幼少期には兄弟姉妹で貧しいながら、わいわい楽しく暮らしていたのかも知れませんね。
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今昔物語集に登場する藤原惟規
藤原惟規は、鎌倉時代末期に成立したと考えられる説話集、今昔物語にも名前が登場します。それによると、賀茂神社の斎院(未婚の皇女)に仕えていた女房、斎院中将のもとに惟規が夜這いをかけ、それを警護の者に見とがめられ大騒動になった話が残っています。当時、夜這いは男性の求愛として一般的な習慣でした。しかし、惟規が夜這いに忍び込んだ屋敷は未婚の皇族女性が精進潔斎して祭祀を執り行い神に仕える場所でした。神に仕える未婚の皇女が貞操を失う事になれば大問題で天皇の威信に傷がつきます。警護の兵士は不法侵入した男を必ず捕えようと斎院の門を全て閉ざし、女房達はパニックになってしまいます。しかし、この緊張に耐えられなくなった惟規の思い人の斎院中将が「忍び込んだ男は私の愛人です」と白状したために騒動はあっけなく終了。隠れていた惟規は、警護の兵士の冷たい視線に見送られつつ門から出て行きました。普通の人なら、これだけの大事になれば卒倒ものですが、惟規は帰り際に和歌を書いて置いていったそうですから、大胆不敵な性格だったのでしょう。
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仕事でへまをした藤原惟規
大胆不敵な惟規ですが、それは裏返せば小さな事を気にしない大雑把な性格にもなります。そんなわけで惟規は、六位蔵人の役職についていた時に行事でヘマをした事があります。大河ドラマでロバート秋山竜次さんが演じている藤原実資が書いた日記「小右記」によると、ある年、御仏名という祭事が行われました。朝廷では祭事を主導した導師とその弟子たちに木綿を褒美として与える習わしで、従来は木綿を与える時には、導師の分と弟子の分をそれぞれ均等に箱にわけて与えるのですが、惟規は弟子の1人の箱に山盛りの木綿をどっかりと載せてしまったのです。そのため自分の取り分の木綿を求めた弟子たちが木綿を奪い合う事態となり、その浅ましさに上級貴族が先例通りではないとして首を傾げて不審に思ったのだそうです。
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日本史ライターkawausoの独り言
藤原惟規は紫式部の不出来な弟ではなく、姉には及ばないものの、当時としては十分に有能な役人でした。また惟規は大胆不敵にして明るい性格であり、今昔物語には斎院の屋敷に夜這いに入り、大騒動になった逸話が残り、小右記には大雑把な性格が災いして儀式を失敗してしまった事が記録されています。大出世したわけではありませんが、愛すべきキャラクターとして当時から人望があったのではないでしょうか?
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