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【動画解説】兵站が命運を分けた日露戦争|日本が勝ちロシアが負けた本当の理由


コメントできるようになりました 織田信長 日本兵vsロシア兵(日露戦争)兵士

 

 

日露戦争で勝敗を決めたのは、大砲でも銃剣でもなく「兵站」でした。影の戦場で何が起きていたのか、Short動画+深掘り解説でお届けします。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ロシアの補給線は1万キロの悪夢だった

鉄道(蒸気機関)に乗るkawausoさん

 

 

ロシアは満洲へ兵力を送るため、はるばる1万キロも離れた本国からシベリア鉄道で補給を行いました。しかし鉄道は単線で、物資は常に大渋滞。前線には食料も装備も届きませんでした。

 

  • 黒パンと乾燥魚が主食
  • 缶詰は腐敗していることも
  • 極寒の戦地で士気は低下

 

 

日本は港×鉄道×炊事班の連携が強み

軍艦(明治時代)

 

 

一方、日本は港湾と鉄道を連携させ、補給拠点から前線へスムーズに物資を輸送。現地には炊事班が同行し、温かい食事を提供していました。

 

  • 白米・味噌汁・梅干しなど、日本らしい食事
  • 缶詰の肉や野菜も配給
  • 兵站距離はロシアの「わずか1/5(約1800キロ)」

 

 

戦う前に勝敗は決まっていた?

兵士 旧幕府軍敗北シーン

 

 

十分な補給がある日本兵の士気は高く保たれ、一方でロシア兵は飢えと寒さで戦意を喪失していきました。まさに、兵站が戦場の勝敗を左右したのです。

 

 

兵站を制する者が、戦を制す。

 

 

 

 

Q&A:よくある質問

兵士(庶民・村人)

 

 

 

Q. どうしてシベリア鉄道は単線だったの?

A. まだ建設中で、戦争に間に合わなかったためです。完成は戦後でした。

Q. 日本兵の食事は豪華だった?

A. 豪華ではありませんが、温かく栄養のある食事を取れたことが士気に大きな差をつけました。

 

 

参考・出典

book-Suikoden(水滸伝-書類)

 

  • 防衛研究所資料室
  • 『明治陸軍食糧事情』
  • 遠藤倫朗『日露戦争の兵站』

 

 

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カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

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