戦国時代の日本に誕生し、江戸時代に発展した城下町を取り上げます。城下町はなぜ戦国時代に誕生したのか?そしてその特徴と歴史、城下町と他の町との違いを詳しく案内。
さらには昭和の時代に誕生した企業城下町も含めその全貌をじっくり解説します。
城下町の定義
城下町は日本の都市の形態のひとつです。城下とは城の周辺を意味しており、かつて大名が移住していた城の周辺に形成された町のこと。城は戦国時代以前、古代から存在しましたが、元々は敵からの攻撃を守る砦のような役目を果たしていました。
そのため山に建築されることが多く、周辺に町などは出来ません。やがて戦国時代になると当初は山城が多かったものの、その城で居住する大名の周りで、市などの経済活動ができるようになり、その周辺に住む人が増えていきます。越前・一乗谷の朝倉氏もその例のひとつ。
しかし城下町としての機能を強化したきっかけを作ったのは織田信長です。彼は兵農分離をすすめ、戦うための専門の武士たちを城下に強制的に移住させました。さらに楽市・楽座を活発化させることで城下周辺の商工業を発達させます。
このスタイルが安土桃山時代の豊臣秀吉に引き継がれ、大坂城の城下が商業都市として発展していく礎を築きます。江戸時代に入り、城は戦いの場所ではなく大名が住居するところになりました。それからは経済力を高めるためにさらに城下町が発展していきます。
江戸時代には小大名を中心に、城に至らない陣屋という住居で生活していました。その場合でも城下町と呼びます。特に近世に形成された城下町の多くは、世界の城郭都市の様に城壁に囲まれていないのが特徴。そして城下町のいくつかは明治以降に県庁所在地など主要都市として発展します。
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城下町と港町、門前町などとの違い
城下町以外にも日本にはいろんな町があります。ここでは城下町以外の町について紹介しましょう。またそれぞれの街が単独で存在するのではなく、城下町と港町、あるいは城下町と宿場町といった具合に、複数の特徴を有している町も存在します。
・港町
港町は、海や川、湖と言った水上に面した場所にある町のことで、水上交通と陸上交通の転換点です。世界や日本では古代から存在しており、かつて日本では「津」と呼んでいました。戦国時代の港町では酒田や船橋、堺、平戸などが有名です。
・宿場町
宿場町は、国内の主要街道沿いに形成された町で、旅人が宿泊する宿を構成していました。古代律令制時代の駅伝制がその始まりですが、江戸時代に整備された宿場町が有名です。東海道の五十三次がとくに有名ですが、地域の街道にも宿場町が設けられました。
また城下町や港が宿場町を兼任している例があります。滋賀県の草津宿などそのまま現在の町に組み込まれた宿場町も存在。さらに山間にあった宿場町では町ではなく史跡だけ残っています。
・門前町
門前町は、全国にある有力な神社な寺院の周辺に形成された町です。これは全国から参拝に来る客向けに商売をするために発展しました。
城下町の城はすでにその役目を終えていますが、こちらは現在も信仰の対象として多くの人が神社仏閣に参拝しており、その機能が残っています。有名なところでは日光や柴又、大須、四国善通寺、宇佐市など。また奈良の洞川のように現在では温泉地になっている所もあります。
・寺内町
寺内町は、中世から近世の日本で形成された自治集落です。浄土真宗の仏教寺院を中心にその周辺に信者のための町を作りました。周辺を濠や土塁で囲んでいるのが大きな特徴です。
寺院の周辺にできた意味では門前町に似ていますが、寺内町は囲まれた中は寺の境内という扱い。そのため自治集落のため結束が強く、現在も当時の面影が残っている寺内町がいくつか存在します。
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戦国時代までの城下町
城下町は戦国時代に形成されました。初期のころの城下町は山麓のふもとに作られます。盆地帯であることが多く、越前・一乗谷の様に周囲を山で囲まれたところにありました。
その常識を変えたのが織田信長です。彼が晩年に作り上げた安土城は、もはや攻撃の拠点ではありません。あくまで王者である信長が居住する場所として作り上げられました。そして兵農分離と楽市楽座にて町を発展させます。
それをさらに強化したのが大坂城を築城した豊臣秀吉。大坂湾に面していたこともあり、水運も盛んだったことから大坂の町が商業の町に変貌してきます。
そして徳川家康も関東に入封後、それまでの拠点だった鎌倉や小田原ではなく、新たに江戸を拠点としました。江戸城下に当時の最新都市を構築。後に天下が取れるようになるまで力を蓄えました。
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江戸時代の城下町
江戸時代に入り攻撃拠点から大名の居住区に代わった城は、江戸時代には平城が中心になります。そして城を中心に町が広がっていきました。そして町が広がると同時に新たな問題が発生していきます。一番の問題は川の氾濫でした。
元々川を天然の堀としていましたが、徐々に氾濫しないように治水事業を強化します。そして城のすぐ近くには武家地を配置。その周辺に町人の街が形成され、もっとも外側には寺社を集めた寺町を排しました。こうして城下町の大きさで各大名の経済力が争われるようになります。そのため交通に不便な山城は放棄されました。ちなみに江戸時代には全国に三百ほどの城下町が存在したという記録が残っています。
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明治以降の城下町
明治維新後に廃藩置県が行われ、全国の城が無用の長物となりました。城の多くは取り壊されます。一部は市民たちの努力などにより保存されると、主にミュージアムを兼任した史跡として残りました。
しかし城とは別に城下町は引き続き都市として発展していく例が多く、特に県になって設置された県庁所在地の多くはかつて藩庁だった城のある町がそのまま使われました。たとえ県庁所在地に選ばれなくても、その場所には市役所が置かれるなど、結局現代にいたるまで多くの城下町が都市とて発展します。
ただ一部の山間にあった城下町などでは都市としては発展しません。ただ当時の面影のこした古い町並みが残りました。結果的に町自体が観光資源として保存活動を展開。戦国や江戸時代の城下町の名残を楽しむことができます。
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人気の城下町10選
ここでは現在でも城下町の面影が残っている町を10か所紹介します。
1. 松本(長野県)
2. 犬山(岐阜県)
3. 津和野(島根県)
4. 松江(島根県)
5. 小田原(神奈川県)
6. 安土・近江八幡(滋賀県)
7. 金沢(石川県)
8.萩(山口県)
9. 角館(秋田県)
10. 川越(埼玉県)
昭和に登場した企業城下町とは?
昭和に入ると城下という意味での城下町ではない、企業城下町と呼ばれる街が形成されました。これは特定の一社の大企業の工場が誘致されると、その周辺に工場で働く住民が増え、その企業の業績が町全体に影響を及ぼす存在です。
かつて大名が住んでいた城の代わりに、企業が生産拠点として設置した工場。これを稼働するための人員を工場の周辺に住まわせ毎日のように工場とを往復します。これは主に高度経済成長下において全国的に登場しました。
基本的には別の場所に本社がある大企業が工場を誘致して形成されるのが主な理由ですが、逆にその場所にあった企業が成長し、巨大化することで結果的に企業城下町になった例があります。また豊田市の様にかつては挙母市と呼ばれていた自治体が、トヨタ自動車の「豊田」を自治体名につけるなど、その自治体にとってなくてはならない存在になることも。
そのほかかつては主要な産業だっものが衰退する場合や製造拠点がが意外に移転すると、街そのものが空洞化するという問題点が指摘されています。
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戦国時代ライターSoyokazeの独り言
城下町は、戦国時代まで攻撃の拠点だった城の周辺にできた町です。織田信長の安土城以降は攻撃の拠点から領主の居住場所となった城の周辺には、商業を発展させ経済力を重視した城下町に変貌します。
それは明治以降になっても自治体の中心都市としてさらに発展。多くは現在に至りました。また昭和の時代になると、大企業の工場の存在で発展した企業城下町も誕生していきます。
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