坂本龍馬は薩摩藩に移籍していた?【日本史の新説】

14/03/2021


坂本龍馬(幕末時代)

 

坂本龍馬(さかもとりょうま)といえば、幕末の風雲児として映画やドラマでは、特に重要な役どころではなくても、出てくるようなメジャーな存在です。そんな龍馬の魅力と言えば、幕末の混乱を己の才覚と身分を問わない人間関係で乗り切った一匹狼のビジネスマン、ヤングエグゼクティブのイメージでしょう。

 

saigou-takamori-Military-uniform(軍服姿の西郷隆盛)

 

しかし、最近の歴史研究で龍馬は一匹狼どころか土佐藩士から薩摩藩士に移籍。西郷隆盛(さいごうたかもり)を上司として活動していたと言われているのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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坂本龍馬は薩摩藩士だったズバリ!

 

では、ここで坂本龍馬は薩摩藩士だったという記事のポイントをザックリ解説します。

 

1 神戸海軍操練場(こうべかいぐんそうれんじょ)閉鎖後、坂本龍馬は薩摩藩に引きとられる
2 亀山社中(かめやましゃちゅう)の「社中」とはグループの意味で会社を意味しない
3 薩長同盟覚書(さちょうどうめいおぼえがき)の裏書は龍馬が薩摩藩士だからこそ意味がある
4 土佐藩士高見弥市(たかみやいち)は薩摩に鞍替えし大石団蔵(おおいしだんぞう)と名乗った
5 龍馬は個人で長州と太いパイプを築いたスゴイ人

 

以後は、それぞれの項目について少し詳しく見ていきましょう。

 

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神戸海軍操練所閉鎖で薩摩藩士になる龍馬

ガレオン船(世界史)

 

坂本龍馬が尊王攘夷(そんのうじょうい)運動の中で、土佐藩を脱藩したのはよく知られています。

 

勝海舟から航海術を学んだ坂本龍馬

 

その後龍馬は、勝海舟(かつかいしゅう)に師事し海軍を学ぶために神戸海軍操練所に入りました。入ったと言っても龍馬は正式な海軍操練所のメンバーではなく、海舟私塾の塾頭身分であり、操練所の設備を借りて学んでいたのです。

bakumatu-Close-politics(幕末の密室政治)

 

しかし、操練所は開所から1年持たずに、反幕的人材を育成しているとして、閉鎖を余儀なくされ、海舟は路頭に迷いそうな龍馬等、私塾の生徒を薩摩の西郷隆盛に託しました。

 

薩摩藩が大英帝国の戦艦に砲丸をぶち込むシーン(海軍・水軍)

 

同じ頃、薩摩藩も薩英戦争(さつえいせんそう)で壊滅した海軍を立て直す必要があり、中途半端ながら航海技術を持つ坂本龍馬一行を迎え入れたのです。神田外大准教授で明治維新史が専門の町田明広氏(まちだあきひろし)は、この段階で龍馬は薩摩藩士になったと考えているそうです。

 

激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末はじめての幕末

 

亀山社中というカンパニーは存在しない

バリバリビジネスマンの坂本龍馬

 

坂本龍馬が薩摩藩士だとすると、有名な亀山社中はどうなるのでしょうか?

 

町田氏によると、亀山社中という名前は明治時代以降の事で、当時はただ社中と呼ばれていた事を指摘します。

 

日本初の株式会社した坂本龍馬

 

そして、社中という言葉は、Wikipediaによると広義には同じ目的を持つ人々で構成される仲間や組織を指すとあり、営利団体の会社という意味合いは薄く、グループという方が適当です。

 

つまり亀山社中は龍馬を中心に薩摩の船を動かし長州藩に武器や弾薬を運ぶだけの運び屋グループであり、龍馬を社長とするカンパニーの実態は無かったわけです。

 

伊藤博文

 

実際に長州藩士だった伊藤博文(いとう ひろぶみ)は明治になってから、亀山社中など存在しないし、武器や軍艦の購入など何もしてないと苦々しく述懐しているそうです。史実の亀山社中は赤字ばかりで一度も利益を出していないとされますが、社中がただの輸送屋なら納得できますね。

 

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薩長同盟の裏書が証拠

薩長同盟が結ばれるシーン 坂本龍馬と西郷隆盛と桂小五郎

 

また、坂本龍馬の業績のハイライトでもある薩長同盟も龍馬の手柄ではないようです。薩長同盟は、当初は軍事同盟ではなく、長州藩が再び幕府と戦っても薩摩は幕府にはつかず中立を維持し、同時に朝敵となった毛利(もうり)父子の復権を朝廷に願い出る六カ条の覚書とでも呼んだほうがいい代物でした。

 

桂小五郎(木戸孝允)

 

しかも、六カ条の取り決めは桂小五郎(かつらこごろう)と薩摩の小松帯刀(こまつたてわき)の口約束であり、薩摩に取り決めを反故にされる事を恐れた桂が、たまたま現場に居合わせた薩摩藩士の龍馬に、六カ条を書いてみせ、内容に間違いない事を証明する為、裏書を求めたのが真相です。

 

どうして桂が龍馬に裏書を求めたか?と言えば、それは、龍馬が薩摩藩士だと考えられていた以外に理由がありません。もし龍馬が一匹狼なら、裏書を求めたところで何の意味もありませんからね。

桂小五郎&西郷隆盛

 

いざ、薩摩が約束を履行せずにしらばっくれたら「ここに薩摩藩士、坂本龍馬の裏書がある!」と圧力を掛ける為、桂は気の良い龍馬を利用したとも言えます。

 

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カワウソ編集長

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