江戸時代前期に誕生し、瞬く間に江戸庶民の娯楽の頂点に立ったのが歌舞伎です。しかし現代の私達が見る歌舞伎は伝統芸能で古色蒼然としていて、台詞の言い回しも格式張っていて、むしろ私達の耳にはギャグのように聞こえたりします。
娯楽の少ない江戸時代とはいえ、どうして歌舞伎が庶民の人気を集めたのでしょうか?
今回のほのぼの日本史は、どうして歌舞伎が江戸時代に人気を博したかを解説します。
朝から晩まで興行していた歌舞伎
歌舞伎の特徴は非常に長い興行時間です。
芝居小屋は、朝早く開いて夕方の5時くらいまで、およそ半日の長丁場でした。舞台では最初駆け出しの役者が上演し、時間が経過するごとに看板役者が登場します。終幕近くの午後4時には千両役者が演じ観客の興奮は最高潮に達しました。
歌舞伎の観覧料は、二階の桟敷席が25匁(33000円)と高価ですが、土間席なら板で仕切られて狭いものの100文〜130文(2000〜2600円)と現在の映画とそれほど変わらない料金で観覧が可能でした。
浮世絵などで見ると土間席は舞台に近く、興奮した観客が掛け声を上げている様子が描かれていて、江戸時代の歌舞伎が決してお高くない大衆娯楽だった事が分かります。今で言えば格安で半日遊べるテーマパークが歌舞伎であり、当時の歌舞伎人気が高かった事は想像に難くありません。
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時代を反映した演目が上演された
歌舞伎の演目は現代でこそ古典ですが初めて上演された当時はもちろん新作でした。
歌舞伎には時代物と呼ばれた江戸時代よりも古い時代を扱った演目や、世話物と呼ばれた同時代の江戸の風俗や義理人情を扱った演目、そして所作事と呼ばれた舞踊や舞踊劇がありました。
現在のメディアに例えると時代物は大河ドラマや時代劇、世話物は現代劇や吉本新喜劇、所作事は宝塚歌劇のようなレビューショーに相当します。また、時代物は時代物に見せかけて江戸時代に起きた事件を翻案する事もありました。
1703年1月30日に起きた大石内蔵助を筆頭にした赤穂浪士47人の吉良邸討ち入りは、当時すでに廃れつつあった忠義の物語として、翌年の正月には江戸山村座の「傾城阿佐間曽我」の五番目の曾我兄弟の仇討ちという建前で上演されています。
曾我兄弟の仇討ちは鎌倉時代の事なので、その筋書きに巧妙に赤穂事件を盛り込む事で、政治批判と幕府から目をつけられるのを防ごうとしたのです。
それ以外にも歌舞伎は、当時人気のあった合巻のような草双紙にも目をつけ、将軍家斉を批判したとして作者の柳亭種彦が譴責を受けた「偽紫田舎源氏」も幕末には歌舞伎に仕立てて上演しました。
つまり当時の歌舞伎は、現在の映画やニュースまで巻き込んだ総合メディアであり、時代を切り取った作品を次々上演し庶民の支持を得ていたのです。
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舞台演出が3Dだった!
歌舞伎が人気を集めた理由には舞台装置が豪華で臨場感があった点も挙げられます。享保3年(1718年)それまで晴天下で興行されていた歌舞伎の舞台に屋根がつき全蓋式に変更されました。
これにより元祖ワイヤーアクションである宙乗りや暗闇の演出が可能になり、表現の幅が大きく広がります。やがて役者をエレベーター式に上昇させるせり上げや、舞台を回転させる廻り舞台が開発されました。
さらに役者が客席から伸びた花道を通って舞台に移動する仕組みが考案されます。かくして花道により歌舞伎は二次元性、迫りによって三次元性を獲得、廻り舞台によって場面が大胆に転換する高度な演劇へと進化していきます。
3D映像など無かった当時は、大掛かりな歌舞伎の舞台装置は圧倒的な迫力を持って観客に迫って来た事でしょう。
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CMタレントだった歌舞伎役者
歌舞伎役者がCMに出演するのは現在に始まった事ではありません。すでに江戸歌舞伎において、役者の人気にあやかり当時の豪商が舞台の登場人物に商品のPRをさせる事が日常化していました。
初めて歌舞伎にCMを盛り込んだのは中村屋で、二代目団十郎扮する虚無僧が寿の字越後屋の一文字「寿」の入った網笠を被ってさりげなく登場したのを最初に、芝居のセリフでも小田原名物の薬、外郎を前面に押し出した「外郎売」が初演されます。
外郎売は露骨な薬のPRで、製造元や名前の由来、効能が台詞にそのまま含まれていました。このCM効果の極めつけが「助六由縁江戸桜」で、舞台に登場する遊郭の暖簾や白酒、朝顔煎餅、うどん屋のような実在の店をそのまま芝居に登場させ、観客は歌舞伎見物の後に助六に登場した店に行ったり白酒や朝顔煎餅を食べたりしていました。
このような事が可能なのは、当時の歌舞伎役者が庶民のアイドルであり現在のタレントのような存在だったからで当時の歌舞伎人気の高さをしのばせます。
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三太郎の元祖は歌舞伎?
某doc●moのスマホCMに桃太郎、浦島太郎、金太郎や乙姫が出てくるものがありますね?
アレは桃太郎や浦島太郎や金太郎の世界観をベースにしながらスマホの機能やプランを紹介する内容で、とても親しみやすく人気があります。実は、あのCMのアイデアは独創的なものではなく、歌舞伎で古くから「世界」と呼ばれている表現パターンを参考にしたものでした。
歌舞伎の「世界」とは物語が展開する上での時代や場所、背景や人物設定を、観客の誰もが知っているような伝説や物語あるいは歴史上の事件などの大枠にはめ込んだもので、現在で言えば、桃太郎や金太郎や本能寺の変などが該当します。
しかし、世界では借りるのはあくまで世界観のみで、物語展開はどんなに原作を逸脱しても構いません。例えば桃太郎が鬼退治をせず、毎日犬、猿、雉とだらだら話す内容でもいいですし、雉を鬼の妖術で美女が姿を変えられた姿として、鬼を倒して雉と桃太郎が結ばれるという筋でも構いません。
また、歌舞伎では、複数の世界を組み合わせひとつの演目を作ることもあり、これを綯交ぜと言い、無双系のゲームで言えば日本の戦国時代と三国志の登場人物が一緒に出てくるようなもので、本来絶対にアリエナイわけですが、面白ければ時代や場所は無視してもいいのです。
歌舞伎は、このように徹底したエンターティメントにこだわりました。江戸時代の庶民が熱狂したのも無理はありませんね。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は江戸時代の庶民を熱狂させた歌舞伎の面白さについて解説しました。現在では伝統芸能の歌舞伎も誕生した時には新しい芸術であると同時にメディアであり、沢山の新進気鋭の人材が流れ込んで、次々と面白い表現と物語が産み出されていったのです。
参考文献:図解でスッと頭に入る 江戸時代 昭文社
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