坂本龍馬

坂本龍馬は結局なにがしたかった?開国後の龍馬意図

坂本龍馬(幕末時代)

 

江戸時代の幕末に活躍した人物の中で、坂本龍馬(さかもとりょうま)はとても人気があります。坂本龍馬は19歳の時、剣術を磨くため江戸に居ました。その年に米国ペリーの黒船来航がありました。

 

黒船(ミシシッピ号)

 

龍馬は巨大な黒船を目の当たりにして大きな衝撃を受けました。その後、日本は開国への道を進むことになりました。開国後、龍馬は自分の意志を貫いて行動し、「薩長同盟(さっちょうどうめい)」の成立という歴史的な出来事をコーディネートし実現させました。

 

それでは、龍馬は結局なにがしたかったのでしょうか?

 

薩長同盟が結ばれるシーン 坂本龍馬と西郷隆盛と桂小五郎

 

龍馬には「日本を外国から守る。そのためには日本を新しい国に作り替える必要がある」という一貫した願いと意図があり、そのために「薩長同盟」の成立に尽力しました。

 

大政奉還した徳川慶喜

 

薩長同盟が成立したことによって、龍馬の死後になりますが、大政奉還(たいせいほうかん)倒幕(とうばく)明治維新(めいじいしん)という新しい日本への道が開かれたと言えるでしょう。

 

勝海舟との出会い

次元の高い考えを持つ勝海舟を尊敬した坂本龍馬

 

龍馬は土佐藩の下級武士(郷士)の二男として生まれました。坂本家は酒造業や呉服店を営む豪商の家から分家したため、武士と商人を兼ねた家でした。

 

剣術を磨くため江戸にいた19歳の坂本龍馬

 

自ら剣術を磨くため、龍馬は江戸へ行き、北辰一刀流(ふほくしんいっとうりゅう)で有名な千葉道場へ入門しました。その江戸に住んでいる19歳の時に、米国ペリー黒船来航を目の当たりにすることなりました。

 

ペリーの黒船来航を見ちゃった坂本龍馬

 

龍馬は外国の軍事力や技術力に対して大きな脅威を感じました。

 

「このままでは日本は外国に乗っ取られてしまう」という危機感と、

「なんとかしなければ」という使命感が心に刻みこまれました。

 

龍馬は20歳の時、いったん土佐に帰郷しました。そして、土佐藩の中で一番の知識人として有名な河田小龍(かわだしょうりょう)という人物のところへ出向き、米国ペリー黒船来航のことを伝えました。そして、日本を守るにはどうしたらいいか、相談と教えを請いました。

 

 

河田小龍は、海外の情勢に詳しいジョン万次郎(まんじろう)(※)と深い関わりがあって、外国や海外について詳しい人物でした。龍馬は、河田小龍から外国や海外の情勢について多くのことを学ぶことができました。

 

 

また、そのことによって龍馬は「日本を外国から守るためには日本の軍事力や国力を強くする必要がある」という認識を深めることになりました。

 

(※)ジョン万次郎:江戸時代末期から明治時代にかけてアメリカと日本で活躍した日本人。

 

ペリー(幕末)

 

龍馬は26歳の時に、土佐の尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に加わりました。当時、日本は米国ペリーの黒船来航により、開国を始めたところでした。尊王攘夷と開国は対立する思想です。

 

江戸城

 

勝海舟(かつかいしゅう)は、当時の江戸幕府の開国論者の代表格の人物でした。そのため、龍馬は江戸へ行って勝海舟を暗殺する計画を立てました。

 

勝海舟

 

地位の高い勝海舟と面談をするために、龍馬は知恵を絞り、剣術の人脈を通じて、幕府の重役の松平春嶽(まつだいらしゅんがく)から勝海舟と面談する紹介状を得ることに成功しました。そして、龍馬は勝海舟の屋敷を訪問し、いよいよ面談が始まりました。

勝海舟の暗殺を企んでいた坂本龍馬

 

当初、龍馬にとってこの面談は勝海舟を暗殺することが目的でした。

 

次元の高い考えを抱いてた勝海舟

 

しかし、実際に面談が進むと、勝海舟はとても次元の高い考えを示しました。

 

勝海舟の主張は「外国との交易によって日本も西欧に負けない国力をつけ、防衛力を強化していく必要がある」というものでした。

 

次元の高い考えを持つ勝海舟を尊敬した坂本龍馬

 

龍馬は、勝海舟の高尚な考えに尊敬の念を抱くことになりました。そして龍馬はその場で勝海舟に対して弟子入りさせていただくことを懇願し、勝海舟は了解しました。

 

勝海舟に弟子入りを願い出る坂本龍馬

 

龍馬は、勝海舟の暗殺するつもりでしたが、逆に、勝海舟の弟子になったのです。ただ、龍馬にとって勝海舟と面談できたことは結果として幸運な出来事となりました。

 

勝海舟から航海術を学んだ坂本龍馬

 

龍馬は知識人の勝海舟の弟子になることによって、航海術を含め、様々なことを学び、志士として成長していきました。

 

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薩長同盟

薩長同盟が結ばれるシーン 坂本龍馬と西郷隆盛と桂小五郎

 

幕末の時、全国の藩の中では長州藩と薩摩藩の2つの藩がもっとも実力がありました。

 

桂小五郎(木戸孝允)

 

長州藩の中心人物は桂小五郎(かつらこごろう)(後の木戸孝允(きどたかよし))でした。一方、薩摩藩の中心人物は西郷隆盛(さいごうたかもり)でした。

 

桂小五郎&西郷隆盛

 

薩摩藩と長州藩は、「禁門(きんもん)の変」で激しい戦いを行ったことがありました。その戦いは薩摩藩が勝ちました。

 

幕末 大砲発射

 

 

敗北した長州藩の悔しさもあり、両藩の仲はひどい状況が続いていました。

 

龍馬は「外国があれだけ強い国力を持っているのに、日本の内部で争っている場合ではない」と考え、なんとか両藩の仲を改善して力を結束できないか思案しました。

 

龍馬は、幕府の政治を終わらせ、外国に負けない新しい日本に作り替えるためには、薩摩藩と長州藩が協力しあう必要があると考えていました。当時、長州藩は幕府を倒そうとしていましたが、西洋式の武器をあまり持っていませんでした。

 

それは幕府による厳しい監視が続いていて、表立って長崎で西洋式の武器を調達することができなかったからです。一方、薩摩藩はイギリスと仲が良くて、西洋式の武器をたくさん持っていました。また、薩摩藩も幕府を倒したいと思っていましたが、薩摩藩だけでは幕府を倒すのは無理と考えていました。

 

長崎で亀山社中を結成する坂本龍馬

 

この両藩の状況を踏まえ、龍馬は「亀山社中(かめやましゃちゅう)(後の海援隊(かいえんたい))」という貿易の会社を作りました。亀山社中は、薩摩藩から西洋式の武器を仕入れて、長州藩へ売ることにしたのです。

 

薩摩藩と長州藩の両藩にとってありがたく、亀山社中も利益をあげることができました。龍馬は下級武士でありながら商売を行う家で生まれ育ったこともあり、ビジネスの才能がありました。ビジネスに必要な柔軟な発想力もありました。

 

日本初の株式会社した坂本龍馬

 

このことは龍馬が活躍した大きな理由の1つと言われています。

 

龍馬のビジネスの才能と桁違いの行動力によって、亀山社中という貿易の会社が生まれ、両藩の仲が改善していきました。このことが大きな契機となり、薩長同盟が成立することになりました。薩長同盟が成立したのは、龍馬が30歳の時でした。

 

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【攘夷魂!テロに走ったサムライ達】
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船中八策

ガレオン船(世界史)

 

船中八策(せんちゅうはっさく)とは、幕末に龍馬が示した新しい日本の仕組みの8つの方策のことです。龍馬は、幕府の政治を終了させて新しい日本にするために「戦いをしないで済む方法」を知識人の仲間とともに考えました。

 

その方法が「大政奉還」です。

大政奉還した徳川慶喜

 

大政奉還とは、「政治を行う権力」を幕府から朝廷へ引き渡すことです。つまり、戦いをすることなく、幕府の時代を終わりにしようということです。船中八策には、「政権を朝廷に返すこと」という、大政奉還の考えが含まれています。

 

また、船中八策には、その他に「議会政治を作る」「憲法の制定」といった現在の国家の仕組みが多く含まれています。

 

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坂本龍馬の最期:暗殺

坂本龍馬の臨終(暗殺)

 

龍馬は京都・近江屋で何者かに暗殺されました。1867年、享年31歳という若さでした。

 

龍馬は「日本を外国から守る。そのためには日本を新しい国に作り替える必要がある」という熱い志を全うしました。土佐藩の下級武士でありながら、勇敢な行動力、柔軟な発想力、そして多くの人から愛される人望を持って、新しい日本の礎を築くことに尽力しました。

 

刀剣マニアな坂本龍馬

 

31歳という若さで亡くなりましたが、いつまでも人に勇気を与えてくれる偉人であり続けることでしょう。

 

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激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末はじめての幕末

 

 

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