江戸時代

江戸100万の人口を支えた有機肥料とは?

Edo-Castle(江戸城)

 

江戸時代中期の享保(きょうほう)年間、江戸の人口は武士と町人を合わせると百万を超えていました。18世紀当時ロンドンの人口は46万人、パリでも55万人で18世紀の世界で最も人口が多かったのは江戸だったのです。

 

しかし、100万江戸市民の食糧はどこから調達されていたのでしょう?

また、100万人が排泄する糞尿はどのように処理されていたのでしょうか?

 

今回は、江戸100万人の人口を支えた有機肥料について解説します。

 

「江戸患い(えどわずらい)」が増加し野菜調達が急務に

ご飯を食べる薩摩藩士

 

江戸は将軍のお膝元として日本中から米が集まり白米が庶民の主食になるほどでした。ところが、白米食が庶民に普及するとそれまで雑穀で補っていたビタミン類が不足し

 

「江戸患い」と呼ばれた脚気(かっけ)や夜盲症(やもうしょう)が流行して社会問題化します。

 

江戸幕府は当初、関東、東北、関西から大量の野菜を輸入していました。しかし急増する人口を考え、江戸近郊での新田開発を奨励し栽培技術確立と生産確保の為に江戸周辺に御前栽畑(ごせんざいばた)を設置。日本各地から名人百姓を呼び寄せ土地に適応した野菜作りを研究しています。

 

Change-of-attendance(参勤交代)

 

また、江戸には参勤交代で日本中の大名が来ましたが、大名達も地元から自慢の野菜を取り寄せて広大な敷地で栽培しそれが江戸野菜として定着していくようになりました。

 

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水運を利用し近隣農村から野菜を調達

 

江戸周辺の野菜の流通では川の果たす役割が大きいものでした。現在の江戸川区や練馬区、板橋区が該当するエリアは当時江戸ではなく近郊農村であり荒川を利用して舟で生鮮野菜を江戸に供給していたのです。

 

これらの野菜は、江戸五大やっちゃばと呼ばれた神田、駒込、千住、京橋、本所の青物市場に運ばれ、庶民の胃袋に消化されていきました。江戸幕府は水運と陸運を整備し野菜の供給がスムーズに進むよう骨を折っていたのです。

 

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ガンバレ徳川

 

江戸市民の糞尿が100万都市を支えた

 

一大消費地の江戸の発展は、江戸周辺の農村経済を潤し野菜の生産量は増大しますが、それでも農村の野菜供給量で江戸の消費を賄えない事態になります。

 

兵士(庶民・村人)

 

ここで近隣農村が注目したのが100万江戸市民が排出する膨大な糞尿と生ごみでした。

 

こうして近隣農村では、野菜をやっちゃばに運んだ帰りに人間と家畜の糞尿、そして、米ぬかや干鰯(ほしいわし)のような生活ゴミをお金で購入し、これらを発酵させてから落ち葉などと混ぜて堆肥を造り、畑に撒いて野菜の生産力を上げたのです。

 

江戸市民は白米が主食なので糞尿も栄養価が高く質の高い肥料となりました。糞尿が売れると分かると江戸では橋の前後に辻雪隠(つじせっちん)という公衆トイレを設置して糞尿を回収して農家に売却するほどのビジネスになります。

 

にぎわう市(楽市・楽座)

 

糞尿や生ゴミがお金になった事で、現在の東京23区よりも狭い範囲に100万人がひしめいて暮らしていたにもかかわらず江戸は驚異的な清潔さを保つことができました。江戸は都市型農業と有機農業とリサイクル社会のモデルケースだったのです。

 

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様々な江戸野菜

忙しい方にざっくり解答02 kawausoさん

 

こうして、江戸に供給されるようになった江戸野菜は多種多様でした。

以下の表でざっと紹介します。

 

地区 野菜
江東・江戸川・墨田区 砂村(すなむら)ねぎ、砂村きゅうり、砂村なす、亀戸大根、小松菜、
サトイモ、ソラマメ、ナス寺島なす、本所うり
葛飾・足立地区 金町小カブ、千住ネギ、白瓜、レンコン、キョウナ、シソ
北・練馬・板橋区 滝野川ごぼう、練馬大根
豊島・新宿・渋谷区 雑司ヶ谷(ぞうしがや)かぼちゃ、駒込ナス内藤がぼちゃ、
鳴子(なるこ)うり、早稲田みょうが、とうもろこし
品川・大田区 馬込太夫三寸人参(まごめぶとさんずんにんじん)、馬込半白きゅうり
杉並区 吉祥寺うど
荒川区 汐入大根(しおいりだいこん)三河島菜(みかわしまな)
台東区 谷中ショウガ
立川市 砂川(すながわ)ごぼう、奥多摩わさび

 

このように江戸から排出される有機肥料を利用して江戸近郊の農業は発展し、食生活を豊かにすると同時に、都市化が招く生活環境の悪化まで見事に解決していました。

 

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収穫量を増大させた勤勉革命

兵糧を運ぶ兵士

 

18世紀初頭には、日本の耕作可能面積は限界まで到達します。それにより里山のような肥料の供給地まで切り開いたので、農村では肥料が不足しました。また人口の急増により限られた耕作面積の中で飼料生産と食料生産の競合が発生します。

 

この中で江戸時代の農家が選んだのが狭い土地に多くの労働力を投下し、逆に資本(牛馬)を節約するという勤勉革命です。肥料を自前で調達する事が難しくなった18世紀の日本では、お金で肥料を調達するので、たえず市場の需要をチェックし、小さな農地で複数の農産物を栽培する方法が理に適っていました。

 

こうして、耕作地に集中投資した結果、耕地1反あたりの実収石高(こくだか)は江戸時代初期には0.963石であったものが明治初期には1.449石に増加します。

 

米生産だけに限ると、明治時代初期の1870年代には1反あたり1.69石まで上昇しました。これは1940〜50年代の他のアジア諸国に匹敵、あるいは上回る数値だったのです。

 

 

農地の生産性向上は、食糧の余剰を産み出し、換金作物の栽培等による現金収入に繋がり多少のお金と余暇を手にした江戸時代中期以降の農家では、家を頑丈にしたり行楽や文芸を楽しんだり、読み書き算盤を学ばせようと、子弟の教育に出費するようになりました。

 

こうして識字率の向上が起こり維新後の資本主義導入の基盤が造られたのです。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

 

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

元々自給自足であった江戸時代の農家は、農地の拡大により里山が減少する事で堆肥が不足するという事態に陥りますが、大都市から発生する負の存在である糞尿や生活ゴミを購入して堆肥にする事で、この問題を乗り切りました。

 

この事は江戸時代の農家を市場経済にリンクさせると同時に勤勉革命を産み出し、都市と農村が経済で緊密に結びついた循環型社会を可能にします。

 

現代日本では食料も肥料も外国から輸入し、一方で大都市から出る膨大なゴミが環境を悪化させていますが、江戸時代から学ぶ事は多いのではないでしょうか?

 

参考文献:図解でスッと頭に入る 江戸時代 昭文社

参考文献:2019 年 社会構築論系 地域・都市論ゼミ ゼミ論文地元野菜による

地域アイデンティティの形成−東京都江戸川区を事例に

 

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激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末はじめての幕末

 

 

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