「鎌倉殿の13人」は何でこんなに悲惨なの?その背後にある「族滅」という考え

29/06/2022


ブチギレた源頼朝は源義経と源行家に出陣

 

NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人、序盤はコメディ要素満載だったのですが上総広常が誅殺された辺りから、毎回のように登場人物が殺され(うつ)大河と呼ばれるようになります。

 

その悲惨さは戦国時代の大河でも及ばない苛烈(かれつ)さですが、そもそも、どうして鎌倉殿の13人は、こんなに悲惨なんでしょうか?

 

鎌倉時代に特異な因習 族滅

源頼朝に誅殺される上総広常

 

鎌倉殿の13人を悲惨にしているのは、なにも脚本のせいだけではありません。ドラマの舞台である鎌倉時代が、凄惨な権力争いの連続で大勢の人物が殺害されているからです。特に、鎌倉時代の殺戮を容赦がないものにしているのは、この時代に存在した異質な因習である族滅(ぞくめつ)でした。

 

木曽義高死去を知り病に臥す大姫(女性)

 

族滅とは「一族滅亡」の意味で、何か事件が起きると関与した当人だけではなく、その家系全てが同じ罪になり皆殺しにされてしまう事を指しています。

 

ほとんど例外なく助命が許されないので鎌倉幕府の敵となった御家人は、女子供まで動員して戦い、敗北すると生き残った者同士が差し違えて死んでしまうのです。

 

しかし、一体どうして鎌倉時代に族滅という考えが生まれてきたのでしょうか?

 

関連記事:どうして武士は切腹するの?実は簡単に死ねない超痛い自殺の真実

 

歴史ヒストリア

 

 

族滅の定義

源頼朝、源義経と異母兄弟だった源範頼

 

ここで、族滅について定義を明確にしたいと思います。鎌倉時代における族滅とは、大体、家督(かとく)を継いだ嫡男(ちゃくなん)系統の断絶の事です。

 

しかし、家制度が形骸化した現在日本では、家督も嫡男もちんぷんかんぷんでしょうから、仮に日本で一番有名なサザエさん一家で解説しましょう。

 

磯野家の家族構成は、当主波平(なみへい)と正室のフネ、長女でフグ田家に嫁いだ長女のサザエ、小学生で嫡男のカツオ、次女のワカメ、そしてフグ田家の当主であるマスオとサザエとマスオの間に生まれたタラオの7名です。

 

この場合、磯野家族滅とは波平とカツオが滅ぼされる事を意味します。マスオもタラオも男子ではありますが、フグ田姓なので磯野家とは無関係なのです。

 

もっとも、その場合でもワカメが残っているので、ワカメが婿養子を取って磯野家を再興させる可能性は残りますが、ワカメが他家に嫁ぐか独身のまま死ぬと磯野家は滅亡します。

 

源頼朝と対立する源行家

 

しかし、この場合「波平には兄の海平がいるじゃないか!あっちは滅亡していないのに、どうして磯野家滅亡になるんだ」という疑問が出るでしょう。

 

ここがややこしいのですが、普通「族滅」という場合、地上から磯野氏を抹殺するという意味ではなく、磯野氏という大きなカテゴリーの中で、波平が興した磯野波平家「だけ」が子孫を残せずに滅びると考えて下さい。

 

NHK大河ドラマ 平清盛風

 

実際、壇ノ浦の戦いで平家が滅んだというケースも、日本に存在する全ての平氏一門が滅んだのではなく、平清盛を父とする平宗盛の兄弟や子弟が途絶えたという意味になります。

 

関連記事:平清盛とはどんな人?八方美人はなんで独裁者に変貌した?【鎌倉殿の13人】

 

はじめての平安時代

 

 

それでも悲惨な族滅

はじ三倶楽部 スマホでオンライン雑談会に参加する読者

 

磯野家を引き合いに出すと、なーんだ波平とカツオが死ぬと族滅なのか、思ったよりも大した事ないと思ってしまいます。しかし、鎌倉時代の有力御家人ともなれば、妻を何名も抱え、男子だけで10名以上という事もザラです。

 

また、当主が長生きし、家督を継いだ嫡男に子供や孫が生まれたなら、さらに卑属(ひぞく)が下に連なる事になり族滅対象は、数十人から百人以上に膨れ上がります。

 

最強の寄せ集め集団を率いる源頼朝

 

それに、鎌倉時代は一族の代表、惣領(そうりょう)の下に親戚縁者が序列を作って団結するので武士団は家族であると同時に戦士でした。だから合戦では一族が集結し敗北すれば全員で自害という事になりやすく、被害は数百人に膨れ上がってしまいます。

 

鎌倉時代は、個人より家の比重が遥かに重いので家が没落すると、仕官もできず土地を奪われ悲惨な境遇に落ちてしまいます。そんな惨めな思いをするくらいなら一族と運命を共にしようと捕らえられる事なく死んでしまう者も多いのです。

 

関連記事:和田義盛とはどんな人?脳筋だが純粋な心を持つ坂東武者【鎌倉殿の13人】

 

はじめての鎌倉時代

 

 

鎌倉時代に族滅された有力御家人

討死する坂東武士(モブ)

 

では、鎌倉時代に族滅やほぼ族滅の悲運にあった有力御家人には誰がいるでしょう。年代順に並べてみると、

 

年代 名前 本拠地 族滅数
1183年 上総広常(かずさひろつね) 上総国 2名(推定)
1199年 梶原景時(かじわらかげとき) 相模国 33名
1203年 比企能員(ひきよしかず) 武蔵国 11名(推定)
1205年 畠山重忠(はたけやましげただ) 武蔵国 130名
1213年 和田義盛(わだよしもり) 相模国 234名
1247年 三浦康村(みうらやすむら) 相模国 500名余
1285年 安達泰盛(あだちやすもり) 武蔵国 500名
1333年 北条一族 相模国 800名

 

このような感じで、最後の最期にライバル御家人を族滅してきた北条氏が自害して果てる所に因果応報を感じますね。ただ、これらの御家人で完全に族滅したケースはないようで、大ダメージを受けながらも、子孫の代で再び立ち上がっています。

 

関連記事:北条時宗とはどんな人?蒙古襲来を二度も跳ね返し燃え尽きた執権の生涯

 

源頼朝

 

 

族滅の共通点は相模と武蔵

相模国松田に住み着く源行家

 

上の表を見ていると、共通点に気が付きます。北条氏に族滅された御家人の勢力基盤が武蔵(むさし)相模(さがみ)に集中している事です。

 

実は源頼朝以来、武蔵と相模は鎌倉武士団の中核でこの武士団を掌握しつつ、過大な権力を与えない事が頼朝、さらには北条氏の政策になっていました。

 

北条得宗家(ほうじょうとくそうけ)(義時の血筋)では、嫡男が代々相模太郎(さがみたろう)と名乗りますが、それだけ相模の領有が重大だったのです。

 

鎌倉幕府の有力御家人には、結城氏(ゆうきし)や武田氏、足利氏(あしかがし)、宇都宮氏、小笠原氏、佐々木氏などもいますが、これらの武士団は相模と武蔵に地盤がないので族滅には至らなかったと言えるでしょう。

 

関連記事:足利尊氏はどんな人?日本一いい加減な源氏の棟梁が幕府を開いちゃった!

 

北条義時

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は鎌倉時代の権力闘争を悲惨にした族滅について解説しました。その後の日本史でも、時々、族滅は見られますが基本は総大将が切腹し責任を取れば、以下は許すという措置が取られました。

 

自分に人望がないことに腹を立てる石田三成

 

関ケ原の事実上の総大将、石田三成にしても三成は斬首ですが、子の重家は出家を条件に助命されていて合戦に参加していない三成の血縁者で処刑されたものはいません。

 

細川勝元vs山名宗全(応仁の乱)

 

室町時代では、度々、守護大名と将軍家の間で合戦がありましたが首謀者の守護大名は殺されず、領国を減らされるだけに留まっています。この風潮は、やはり鎌倉時代の族滅があまりに不毛な結果を産むとして忌避された結果かも知れませんね。

 

関連記事:関ケ原は天下分け目の合戦ではなかった!【日本史新説】

 

鎌倉殿の13人

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-鎌倉殿の13人
-