ほのぼの日本史をご覧の皆さん、今週もお疲れ様でした。今週のお疲れキャラは織田信長です。
織田信長は、戦国の世に様々な革新をもたらしましたが、江戸初期の軍学者、山鹿素行が書いた「士談」では一番槍は永禄頃の織田信長から始まったとしています。
永禄以来、すなわち信長以来、一番槍に対して、千石から八千石の恩賞が与えられるようになった。保元・平治の頃に槍の功名は存在しなかったが、信長の時代からは、もう槍でなければ天下に誇る功名ではなくなった。
どうして、織田信長が一番槍を奨励したのか?
それは、一番槍の勇士が敵陣を貫通して、その背後に出る事を期待したからでした。敵が自軍の背後にまわれば敵軍は包囲殲滅を恐れて浮足だち、その流れが総崩れに繋がるのです。
その為なら、一番槍に千石や八千石の褒美を与えるのは、大して惜しくないと信長は考えたのでした。ちなみに千石とは1000人の成人が1年間食べていけるだけの米で150トンの米に換算されます。槍兵のやる気を引き出し一番槍を戦場の作法とした信長は戦国の革命児と言えるでしょう。