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今週もお疲れ様!一番槍の風潮は信長が産み出した

29/05/2021


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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今週もお疲れ 織田信長

 

ほのぼの日本史をご覧の皆さん、今週もお疲れ様でした。今週のお疲れキャラは織田信長です。

 

織田信長は、戦国の世に様々な革新をもたらしましたが、江戸初期の軍学者、山鹿素行が書いた「士談」では一番槍は永禄頃の織田信長から始まったとしています。

 


永禄以来、すなわち信長以来、一番槍に対して、千石から八千石の恩賞が与えられるようになった。保元・平治の頃に槍の功名は存在しなかったが、信長の時代からは、もう槍でなければ天下に誇る功名ではなくなった。


 

Ashigaru(足軽-兵士)

 

どうして、織田信長が一番槍を奨励したのか?

 

それは、一番槍の勇士が敵陣を貫通して、その背後に出る事を期待したからでした。敵が自軍の背後にまわれば敵軍は包囲殲滅を恐れて浮足だち、その流れが総崩れに繋がるのです。

 

前田利家の武勇を賞賛する信長

 

その為なら、一番槍に千石や八千石の褒美を与えるのは、大して惜しくないと信長は考えたのでした。ちなみに千石とは1000人の成人が1年間食べていけるだけの米で150トンの米に換算されます。槍兵のやる気を引き出し一番槍を戦場の作法とした信長は戦国の革命児と言えるでしょう。

 

47都道府県戦国時代

 

 

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カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-おつかれさま