ほのぼの日本史をご覧の皆さん今週も一週間お疲れさまでした。今回のお疲れキャラは上杉謙信です。
上杉謙信は、よく前線に出て行く大将だったようで関白近衛前久は、第四次川中島で謙信が「自身太刀打ちをしたのは珍しくないが、この上ない名誉と称えています」では、どうして謙信はよく前線に出たのか?
これは謙信の戦術が信玄を殺す為に特化していたからであるようです。上杉謙信は亡命してきた村上義清から信玄を負傷させたフォーメーションを伝授されました。それは、鉄砲、弓、長槍、騎兵を相互に組み合わせたもので、まず、鉄砲の一斉射撃で敵の旗本を散らせ、次に矢を雨あられと降らせてバラバラにした上で槍兵を突入させて敵陣を混乱させ、最後尾の騎兵が左右から敵の旗本を挟撃するものであり、戦国史上初めて村上義清が上田原の戦いで用い武田晴信を負傷させるほどに追い詰めたものでした。
ただし、この戦い方は士気が重要なので400名ほどの編成の中心に大将格の武将が必要でした。この部隊は戦況に関係なく敵将の首を挙げるのが目的なので高い士気が必要で、どうしても総大将が中心で命を張る必要があったのです。
村上義清から上杉謙信に伝授されたフォーメーションは信玄を苦戦させ、何度も手傷を負わせています。そして、このフォーメーションは武田、北条、上杉のデフォルトとなり、やがて東国の戦国大名と戦う西国の柴田勝家や明智光秀に伝わっていき、備(そなえ)と称される日本独自の戦闘フォーメーションになります。
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