ほのぼの日本史ファミリーの皆さん、今週もお疲れ様でした。さて、2月22日はにゃんにゃんにゃんで猫の日だそうなので今回は猫にまつわる話をします。
戦国の風雲児 織田信長は大の鷹マニアとして知られています。信長は鷹狩りを重視し優秀な鷹を手元に置いて可愛がっていました。そこで信長に近づきたい諸大名は信長に鷹を贈って親交を結ぼうと腐心していました。
こうして、常時数十羽の鷹を保有した信長ですが、困ったのは餌です。鷹は生餌しか食べないので毎日新鮮な獲物が必要でした。こうして信長は鷹の生餌として鶏と猫に目をつけ安土一帯で野良猫や飼猫を捕まえては、鷹の餌にするようになりました。
大六天魔王は猫に取っても大魔王だったようです。これに困ったのが当時の愛猫家たちです。
「人に預けるのも嫌な愛猫を鷹の餌にするなんてとんでもない」
こうして愛猫家たちは自分の愛猫を大和興福寺に預けました。延暦寺と違い興福寺は信長と円満な関係であり信長も興福寺に、ただ猫を狩る為だけに踏み込もうとまではしなかったのです。この時期の興福寺はきっと猫まみれだった事でしょうね。やがて本能寺で信長は討たれ、日本のニャンコが一息つけるか…と思いきや1592年には今度は豊臣秀吉が大和中で犬猫狩りを開始します。
理由は鷹の餌ではなく皮を剥いで槍の刃を包む革袋として使用する為でした。時期的に文禄の役の頃で、大軍を動員するので多くの犬猫の皮が必要だったのでしょう。戦国時代の知られざる猫の受難の歴史でした。