日本における鎧の区分として大鎧から胴丸、腹巻があります。漫画や映画などで、よく見るものですが、パッと見ただけでは違いが分かりにくいですね。そこで、ここで簡単に解説します。
最初に登場したのが大鎧
年代的に最初に登場したのは、大鎧です。これは馬に乗る武者を保護する為に発達していて特徴は大袖と呼ばれる腕を守る革や鉄の板が左右についている事です。この大袖は弓を装備して楯を捨てた騎馬武者の腕を守るために装備されました。また、鎧そのものも台形をしていて馬に乗ると、鎧の重量を馬が吸収するように工夫されています。
大鎧は鎧の胴部分に絵韋(えかわ)と呼ばれる鹿の皮を張ってあり、そこに絵を描いて鎧を豪華に見せる工夫をしていました。この部分に革を張るのは、弓の弦が鎧の小札に引っ掛かって矢を射るのに邪魔にならないためです。
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騎兵同士の一騎打ちが減り鎧にも変化
しかし、時代が下ると騎兵同士の一騎打ちが珍しくなり戦場には足軽が動員され集団戦が主流になります。騎兵も馬から降りて戦う事が多くなりますが大鎧は台形で、馬から降りると全重量が武者の肩に食い込んで戦いづらいものでした。これを受けて、大鎧の簡易版として登場したのが胴丸です。
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胴丸と大鎧の違い
胴丸は大鎧と違い、腰の部分で鎧が狭くなっていて鎧の重量を全身で支えられるように変化しています。また、矢を避けるための大袖は胴丸では小さくなるか、軽量化の為に付けられなくなりました。
一方で足を守る草摺りは、大鎧が3枚なのに対し胴丸は6枚と倍で動きやすさに主眼が置かれています。また、弓を持たなくなったので胴にあった絵韋はなくなり、代わりに小札を括りつける縅糸でカラーリングを施すようになります。
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腹巻とは?
胴丸をさらに簡単にしたのが腹巻です。腹巻はその名前の通り、大袖もなければ草摺りもありません。元々は胴と背中を守るだけの身分の低い武士の鎧でした。ところが、動きやすさを重視した胴丸や鎧を馬に乗って戦う高級武士も好んで着るようになり大鎧は駆逐され、戦場では胴丸や腹巻が主流になっていきます。
その結果、腹巻の装飾が増えて、草摺りがついたり、簡略化された大袖がついたりして胴丸と腹巻の区別が小さくなっていきました。ただ、胴丸と腹巻を一目で見分ける方法はあります。それは、鎧のつなぎ目が胴丸は左脇にあるのに対し腹巻は背中についているのです。
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