平安時代もローストチキンを食べていた大宴会に欠かせなかった鳥料理

20/11/2021


朝廷(天皇)

 

クリスマスが近くなると定番のメニューと言えばローストチキンではないでしょうか?

 

アヒルやガチョウやニワトリのもも肉を焦げ目をつけて焼き上げたローストチキンはクリスマス料理の王様と言って過言ではないでしょう。しかし、実はローストチキンの歴史は古く、平安時代には宴会のディナーとして定着していたのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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平安時代「別足」と呼ばれたローストチキン

京都御所

 

平安時代の公家藤原公任(ふじわらのきんとう)が記したマナーブックである「北山抄(ほくざんしょう)」には、すでに「盛大な宴会の四つの献立に(きじ)のローストチキンあり」と書かれています。

 

また鎌倉初期の厨事類記(ちゅうじるいき)には「別足は焼いて関節から切りはなし薄紙で包んで盛りつける」と出ていて、すでに現在のローストチキンのように骨の部分に薄紙を巻き脂で手が汚れないように配慮がされています。

 

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アルミホイルと薄紙の違いはありますが、これは紛れもなくローストチキンです。(雉だからローストバードかも)この時代のローストチキンは大貴族の宴会でしか振る舞われない高級食材でした。

 

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ローストチキンは肉ではなかった!

各地を放浪し続けた今川氏真

 

平安時代には仏教の影響で獣の肉は「四つ足」と呼ばれ、食べると血が汚れて不浄(ふじょう)とされ敬遠されていましたが、鳥については四つ足ではないので獣の肉とはみなされませんでした。

 

なんとなく、こじつけのような気もしますけど、実際に動物性タンパク質が一切取れないのは辛いので、お坊さん以外にはこういう方便が必要だったのかも知れませんね。

 

kawauso

 

そうか!だからローストチキンを四つ足ではなく「別足」と呼ぶのかも知れませんね。知らんけど…

 

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大和朝廷

 

 

悪左府とローストチキン

明智光秀の親友・吉田兼見

 

ローストチキンの食べ方と言えば、アルミホイルの部分を持って、多少口の周りがソースで汚れるのも気にせずにかぶりつくのが一番美味しい食べ方だと思います。

 

しかし、平安時代のローストチキンは、大貴族にしか出されない高級食材なので、現代のような豪快な食べ方は卑しいとして敬遠されました。

 

鎌倉前期に成立した「古事談(こじだん)」には、極端な性格から「悪左府(あくさふ)」と呼ばれた。平安時代随一の学者、左大臣藤原頼長(ふじわらのよりなが)がローストチキンを食べるシーンが登場します。

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

同じ宴席に招かれた貴族が、左大臣のローストチキンの食べ方を興味津々で見ていると、頼長は関節の上をナイフで切り、曲がった部分を一口だけ食べてあったとの事です。

 

平安時代のローストチキンは、高級貴族に出されたので、料理人は食べやすいように幾つもナイフで切れ込みを入れ、ガッついて口を汚さなくてもいいように工夫されていました。だから悪左府も口元を汚さずに優雅に食べる事が出来たのです。

 

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ながら日本史

 

 

焼き鳥は昔から塩とタレ

 

一方、ローストチキンに比べると庶民的で日常食の焼き鳥は室町時代には誕生しました。

 

当時の料理本には、焼き鳥料理のことという項目があり、

 

「焼き鳥の肉は長さ3センチ程度縦に薄く切る。塩の場合は炙る前に酒をかけてよく炙ること。塩以外はいつものように鳥をさばいて、スリ(ひしお)(醤油の素)に浸してから(あぶ)るとよい」

 

このように記録され、焼き鳥の調理法に塩と醤油たれの二種類があった事が分かります。ほとんど、今と変わらない事に驚きますね。室町時代にもお客が「今日の焼き鳥は塩で頼む!」とか「今日はタレの気分だな」とか料理人に注文していたのでしょうか?

 

ただし、この時代の焼き鳥はニワトリではなく(きじ)のような野鳥でした。

 

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ニワトリが食べられなかった理由は?

にわとり(鶏) 新年 

 

現在はローストチキンとしてポピュラーなニワトリは日本には弥生時代には大陸から渡って来たようですが、長い間食用にはなりませんでした。

 

その理由は目覚まし時計がない大昔は、夜明けを告げるニワトリが神秘的で神聖な鳥とみなされたためで、天武天皇の時代675年には、牛、馬、日本猿、犬と並び、ニワトリを食べてはならないという詔が出ています。

 

ニワトリに関しては卵もタブーであり、鶏卵を食べた為に地獄に落ちた男の話が出てくるほどでした。

 

織田信長

 

ニワトリが肉食タブーから外れたのは戦国時代に南蛮文化が入り込み、鶏卵を使用したお菓子であるカステラやボーロの製造法が伝わったためで、江戸時代に入ると鶏肉も食べられ、鶏肉の焼き鳥も登場するようになります。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今さらですが、チキンは鶏肉の事なので平安時代のローストチキンは正確にはローストバードという事になりますね。しかし、洋風なものと思っていたローストチキンに似たモノがすでに平安時代には存在していたとは、美味しいものを求める人間の欲求は古今東西、あまり変わらないのかも知れません。

 

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カワウソ編集長

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