鎌倉幕府のあったところ、皆さんはご存知でしょうか?
源頼朝が幕府を開いた場所は、当然ながら現在においても姿を変えて存在しています。こう言うとたまに「跡地があるの?」とか聞かれてしまいますが……というか、そもそも「幕府」とはなんぞや?
ということで、今回は「幕府」についてと、鎌倉幕府のあったところの現在の場所、両方について解説していきたいと思います。
この記事の目次
そもそも幕府って?「幕」と「府」の意味
まずは幕府についてちょっとお話しましょう。幕府の「幕」ですが、これは幕のこと。昔は戦場では幕、陣幕を張っている場所は総大将、もしくは指揮官のいる場所とされていました。
つまり幕には「将軍のいる場所」……この場合は朝廷から任命された、将軍のいる場所、を指します。そして「府」は太宰府など、役人の働く場所、という意味が有ります。つまり幕府とは簡単に言うと、朝廷に任命された将軍が働く場所、ということになります。
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「鎌倉幕府」のように幕府の前には場所の名前が付く理由
では次に……例題として「鎌倉幕府」のように、幕府の前に場所の名前が付いている場合。これは簡単で、その朝廷から任命された将軍が、幕府を開いた場所、つまり働く場所を決めた際に、その場所の名前がそのまま幕府の名前となります。
源頼朝は鎌倉に幕府を開いたので、鎌倉幕府。徳川家康は江戸なので、江戸幕府、となったのですね。もちろんこの開いた場所は、現在でもその場所を訪れることは可能ですよ。
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鎌倉幕府のあったところ、大倉御所跡……大倉?
では鎌倉幕府のあったところ、現在はいずこか?
それは現在の神奈川県鎌倉市に、大倉御所跡、もしくは大倉幕府跡として石碑を見ることができます。……という所で「大倉幕府」ってなんぞ?と思われることでしょう。前述したように、幕府は開いた場所の名前が付けられましたね。そしてこの場所は、鎌倉時代当時「相模国鎌倉大倉郷」と呼ばれる場所だったのです。なので鎌倉幕府は大倉幕府とも呼ばれているのですね。
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大倉の土地が選ばれた理由は、実は頼朝のお父さんのため?
さて大倉の土地が選ばれた理由について話していきましょう。当時、頼朝は父親である源義朝の屋敷があった場所にて幕府を開こうとしたそうです。しかし既にその場には義朝の菩提を弔うための寺院が既に建てられていて、幕府を開いても手狭になるということで大倉にて幕府が開かれました。因みにこの元幕府予定地は、現代では寿福寺というお寺が建てられております。
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様々な観点から開かれた鎌倉幕府(大倉幕府)
とは言え、もちろん代打として選ばれた土地であっても、何の理由もなしに大倉に決めた!という訳ではありません。まず大倉は交通の利便性がありました。
鎌倉と六浦津を結ぶ、六浦道という大切な道があるのですが、この大倉の土地は丁度この六浦道沿いの土地だったのです。道は現在においても、そして太古においても重要なもの。寧ろ道があったからこそそこに人々が住む、そんな大事な存在であったのです。アクセスはどの時代においても重要ですね。
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大倉の土地、実は京都並みに重要な拠点となっていた?
ここでもう一つ、大倉の土地が選ばれた理由を話しましょう。皆さんは京都はご存知ですね。京都は風水的に非常に良い立地とされており、その都の位置は「四神相応の地」とされています。
これについては主に背後に山があり、前に海や川が流れ、左右には背後よりも低い山で囲まれる土地であることが理想となります。大倉の場所はこの理想を満たす、良い立地であったとされ、風水的にも、そして現実的な意味での利便性にも富んだ、良い土地であったのでしょう。
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鎌倉幕府のあったところ、現在の大倉御所はどこ?
では最後に、現在の大倉御所、鎌倉幕府のあったところについて。
現在ではこの土地には清泉小学校が建てられており、その小学校及び周辺の住宅地が嘗ての鎌倉幕府のあったところとされています。アクセスはJR横須賀線「鎌倉駅」東口から徒歩20分の場所。清泉小学校の傍には「大蔵幕府跡」の碑が立てられているので、分かりやすいと思います。
跡地とは言え嘗ての幕府のあったところ。歴史に想いを馳せつつ、ぶらりと赴いてみるのはいかがでしょうか。
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鎌倉ひよこライター センのひとりごと
さて今回は鎌倉幕府のあったところ、その現在の場所。それに加えまして、その土地の立地、また蛇足とは思いつつも幕府についても説明させて頂きました。まだまだひよこな筆者ですが、それでも更に卵の殻が付いていた頃には
「ばくふって場所あるの?なんか歴史とかのあれそれじゃないの?」
とかふわーっとし過ぎるような印象を抱いていたもので……お恥ずかしい。しかし調べてみれば納得、面白いものです。どうぞ色々な角度から、戦国の歴史に皆さんもちゃぽーんして下さいね。
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