源頼朝と北条政子の娘・大姫。大河ドラマ、鎌倉殿の13人でも当然のように登場し、そして哀しいことに当然のことのように悲劇が襲い掛かっていく彼女ですが……既にかなり痛々しい状態に追い込まれている大姫様。
そんな彼女はこれからどうなるのか、そういう意味を込めまして今回は大姫の死因についてお話をしたいと思います。やや妄想、想像の余地が多くなるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
この記事の目次
政略結婚だった大姫と義高
大姫は、木曾義仲の息子である木曾義高と許嫁になりました。これが1183年のことです。これは当時、木曾義仲と大姫の父親である源頼朝の関係が、配慮した言い方をするならば「よろしくなかった」からです。
ぶっちゃけて言いますと木曾義高は送られてきた人質であり、この二人の関係はいずれ政略結婚をするような関係であったと思われます。
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義高を慕っていた大姫だが義高は父頼朝に殺される
しかし、結果から言うと木曾義仲と源頼朝の関係は改善されることはなく、翌年には両者はぶつかり、戦いになります。
そして木曾義仲は討ち取られる訳ですが、そうなると最早、木曾義高という存在は源頼朝にとって邪魔でしかありませんでした。
悲劇の始まりとして、大姫と義高の関係は良好であったとされ、義高は周囲の手引きで逃がされます。ですが結局義高もまた討ち取られ、大姫の心には深い傷が刻まれることとなったのです。
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水も飲めないほど衰弱し心に傷を負う大姫
この時、大姫はまだ七歳でした。しかし愛する人を失った、奪われた悲しみに年齢は関係なかったのです。吾妻鏡によると、義高の死を知った大姫は哀しみのあまりに卒倒。
その後は食事も、水すらも取れなくなり、衰弱してしまったとされています。愛娘の悲痛な姿に母親である政子は怒り、義高を討ち取った藤内光澄は後に処刑されました。だからと言って、大姫の心が晴れることはないのですが。
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20歳で亡くなった大姫
その後、幼いながらに想いを捧げた婚約者、それを失って尚、大姫は生き続けなければなりませんでした。何と言っても鎌倉殿の娘、更には時代もあるために結婚話は上がりますが、色々な理由からこれらは白紙化しています。
そして1197年、大姫の状態は快癒することなく、大姫はこの世を去りました。この時、まだ20歳。若くして大姫は、この世を去ることとなったのです。
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大姫の死因は何なのか?未だ分かっていない
さて、大姫の状態は快癒することなく、とは書きましたが。大姫の死因について、実は明確なことは分かっていません。歴史には、大姫の死ぬ前後の細やかなことは記載されてはいないからです。
逆に言いますと、歴史を取り扱った創作関連では不謹慎ながら、筆の見せ所となる場面かもしれませんね。とは言え、こうではないか、と思われる死因はいくつかありますので、主に二つを述べさせて頂きましょう。
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大姫の死因は衰弱死、病死の可能性が高い
まず一番良く言われている大姫の死因が、病死です。吾妻鏡によると、源頼朝は大姫を帝の妻としようとしていました。その下準備としてか、1195年に北条政子、そして大姫たちは上洛します。
この時の大姫の状態は、落ち着いていたものと思われます。しかし結婚話が持ち上がったことから悪化、もしくはそもそもこの時期に落ち着いていたというだけで、大姫の体調は後に悪化、1197年に再び……というのは、考えられないことではありません。1184年から心を患っていたと考えると、長く体の方にも影響があった末での衰弱、とも考えられるでしょう。
父・頼朝への抗議を込めた「自殺」である可能性…
さて、もう一つ考えられるのが、自死、もしくは憤死です。実は大姫は1194年、入内の話よりも前に一条能保の息子との縁談話が挙がりました。しかしこの時に大姫はこれを激しく拒絶、入水すると言って抵抗した、結果としてこの話はなかったことに、という話が吾妻鏡にはあるのです。
これを考えると、自死の線……もっと言うと、再び縁談を持ってきた父親、源頼朝の自分への仕打ちに怒り、そして嘗て愛する人を奪われた恨みを込めての自殺……という流れもあるのではないでしょうか。
はっきりとは分からない、大姫の死因。大河ドラマではどうなるのか、ドキドキしてしまいますね。
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鎌倉ひよこライター センのひとりごと
まあ大姫が源頼朝が義高を討ったことで死期を早めた、というならば、大姫の死因はズバリ「父親」となってしまうのですが……それはまあ置いといて。
そして大河ドラマの話に飛んでしまいますが、あちらの方では憤死が有り得るのではないか、と思っています。大姫もまた女性としての覚悟を決め、愛する人に殉じてしまうのでは……と心配になりますね。そういう意味では全く目が離せない、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。
この先からも目が離せません。ちゃぽーん。
参考:吾妻鏡
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