寺内町の歴史と成り立ちを解説。城壁のような寺は戦国時代に実在した?

09/03/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

鶴岡八幡宮 建物 モブ

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場した三河一向一揆の拠点本證寺(ほんしょうじ)。そこはただの寺ではなく周囲を濠に囲まれ、矢倉が建てられた城塞になっていました。

 

このような形式の都市を寺内町(じないちょう)と呼び、戦国時代には主に浄土真宗の寺に出現しています。今回は戦国時代に登場した寺内町について解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



排他的で一神教の浄土真宗で寺内町が発展

Ikko-Ikko( 一向一揆)

 

寺内町は中世後期から近世前期の日本で浄土真宗により建設された仏教寺院や道場(御坊)を中心に形成された自治集落です。阿弥陀仏のみを信仰し他の仏教宗派や世俗の権力に対しても排他的だった浄土真宗は、外から武力攻撃を受ける事も多く、その過程で信徒を寺院の内側に住まわせ周囲を濠や土塁で囲んで守れる防御的な性格を帯びた寺内町が発展します。

 

こちらもCHECK

眼病が原因で目が見えない晩年を過ごした酒井忠次
酒井忠次の死因は眼病を患った事による老衰死だった?徳川四天王の筆頭の生涯を解説

続きを見る

 

どうする家康

 

 

 

安全な寺内町には商工業者も移住し繁栄

Changan(長安)

 

 

武力で自分達の生活圏を守れるようになった寺内町の内部では外からの干渉を排し安全で活発な商取引が可能になったので信者ばかりではなく商工業者も進んで移住し、経済の中心地として繁栄するようにもなります。また、よく似た言葉として門前町がありますが、あれは基本寺の境外に形成されるので寺の内側にある寺内町とは異なります。

 

こちらもCHECK

Rakuichi-Rakuza(楽市楽座)
城下町とは何?戦国時代から現代まで続く城下町や企業城下町を紹介

続きを見る

 

 

47都道府県戦国時代

 

 

 

寺内町の内部構成

織田信長と本願寺顕如(石山合戦)

 

寺内町を形成したのは、浄土真宗ばかりではなく、禅宗や法華宗、日蓮宗など様々な宗派に及びます。寺内町の多くは砦のような環濠で囲われ、寺院のような宗教施設や坊主のような宗教関係者の居住エリア、信者の町屋敷などで構成されています。

 

特に寺内町としては規模が大きい吉崎御坊や山科本願寺、大坂本願寺は戦国大名の城下町と類似点が多く、特に山科本願寺は日本初の城塞都市と評価されています。

 

こちらもCHECK

石山合戦 織田信長、本願寺顕如
大坂城を最初に築いたのは織田信長だった!?

続きを見る

 

はじめての戦国時代

 

 

 

戦国大名からも独立した国だった寺内町

麒麟を求める農民たち

 

このような外の地域からの権力を寄せ付けない構造を持つ寺内町は戦国大名のような領主から裁判権を意味する検断権(けんだんけん)を獲得。政治は住民の自治で運営され、領主から座特権(ざとっけん)の公認や、公事(くじ)徳政(とくせい)国質(くにじち)所質(ところじち)などの免税措置を獲得、住民の年貢負担も低率で抑えられていました。戦国大名の権力が及ばない寺内町は多くの免税や治外法権により、各地から罪を犯した犯罪者や商工業に従事する事業者が集まって、経済的な繁栄を謳歌する事になります。

 

こちらもCHECK

Ikko-Ikko( 一向一揆)
なんで農民は戦国大名に従った?農村と運命共同体。ローカル大名の真実

続きを見る

 

上杉謙信特集

 

 

 

寺内町は強力な戦国大名に敵視される

ちょっとしたことでブチ切れる織田信長

 

しかし、戦国時代も後期になって織田信長や徳川家康のように、広範囲を支配する強力な戦国大名が登場すると多くの特権を獲得し、大名の命令に容易に服さない寺内町は攻撃の対象となり、徳川家康に討伐された三河三ヶ寺や信長と10年に及ぶ石山合戦を通じて和睦した大坂本願寺のように、寺内町を明け渡し軍門に降るケースも増えていきました。

 

戦国を生き延びた寺内町も、江戸時代に入ると徳川幕府や各藩の支配下に入り、以前のような検断権を失い免税特権も取り上げられ、自由な自治都市の性質を失っていきます。

 

こちらもCHECK

噂話をする戦国時代の庶民
中世日本はアメリカみたいな訴訟社会だった!

続きを見る

 

織田信長スペシャル

 

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

寺内町は排他的で他の仏教宗派に対して攻撃的だった浄土真宗が敵からの襲撃に備える為に寺の外に濠を巡らし、内部に信者を住まわせて独立した生活を営む為に誕生しました。寺内町は防衛力と各種の特権に守られ、城塞のような機能を備え繁栄を謳歌しますが、織田信長や徳川家康のような天下統一を意識する戦国大名が出てくると嫌われて攻撃され、次第に特権を奪われ、自由都市の性質を失っていくのです。

 

こちらもCHECK

家臣にどうする?と迫れられる徳川家康
不入の権とは?家康と対立した三河一向宗を豊かにした権利【どうする家康】

続きを見る

 

どうする家康

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-戦国時代
-