江戸時代武士の最低年収は3.4石
ここまでは、武士のアッパークラス、大名の話をしたので、今度は最低ランクの武士の年収について紹介しましょう。江戸時代には、庶民が貧乏武士を蔑む言葉として「ドサンピン」という言葉がありました。
これは、3両1人扶持という最低年収を意味していて、3両の「サン」とサイコロの1の目の隠語「ピン」を組み合わせた造語です。1人扶持とは、武士1人の標準生計費用を米5合として、1ヶ月で1斗五升、1年間で1石八斗、米俵に換算して5俵を支給するようにした江戸時代の基本給でした。
5俵はキログラムに変換すると300㎏で、ちょうど2石、現在の金額に換算すると54万円。当時の1両を13万円と考えると3両は39万円で1人扶持と合計すると93万円です。つまり、当時の最下級武士の年収は、現代のパート労働者より低かった事になりますね。
ちなみに収入の全てを米換算すると江戸時代の武士の最低年収は3.4石になりました。これは、米俵だと8俵と半分、キログラムだと510キログラムです。
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今の日本人の米の消費量なんと!
1年間に150キロ(1石)の米を食べた戦国時代の日本人ですが、逆に現代の日本人の米の消費量はどうなっているのでしょうか?
農林水産省のデータによると、国民1人の1年あたりの米の消費量は1962年の118.3kgを頂点として減少し、1990年には70kg、2005年には61.4kg、2016年には54.4kgまで減少しているようです。
石高に直すと、なんと3斗にしかならず、米俵1俵分にさえ満ちません。現在が少ないのは分かりますが、1962年の消費量ピークでさえ118.3キロしか食べてなく、戦国時代よりも遥かに少ないのはビックリです。
戦国時代に米の消費量が多いのは、副菜がほとんどなく、漬物や味噌汁をオカズに米ばかり食べていたのが原因であるようですが、それにしても5kの米袋30袋分を1人で食べていたとは、戦国時代の日本人は米食い民族だったのですね。
日本史ライターkawausoの独り言
今回は、戦国時代によく出るキーワード、石高について色々と考えてみました。
1年間で成人男性が食べる米の量150キロが1石の単位だったというのは、kawausoは今回知りましたが、皆さんの中にも、はじめて知った方は多いのではないでしょうか?お米から戦国時代に迫ってみると、また違った発見があるものですね。
参考文献:江戸大名家図鑑 マイウェイ出版他
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