織田信長は若いころは「おおうつけ」と呼ばれていたそうです。うつけとは、「からっぽなひと」「ぼんやりしているひと」「たりないひと」といった感じ。その前に「大」がついているのですから、これはよほどな悪口と言えそうです。
しかも、信長が「おおうつけ」呼ばわりされていたのは、単なる伝説ではなく、『信長公記』に出てくる話なので、おそらく史実なのでしょう。
それにしても、後世の才気あふれる大活躍からすると、「からっぽ」とか「ぼんやり」とかいったイメージの言葉は、ずいぶんそぐわない気がします。いったい、信長のどんなところが、同時代人からは「おおうつけ」に見えたのでしょう?
この記事の目次
これは現代風にいう「ヤンキー」では!?奇抜なファッションであえて人々のヒンシュクを買う信長
その「うつけ」の理由というのが、若き信長の以下のような行動でした。
・父親の言うことも聞かず、いつも若者たちを引き連れて山野で遊びまわっている
・奇抜なファッションをして練り歩き、町のヒンシュクをかっている
・水泳や鷹狩りや乗馬など、荒々しいことばかりを日夜していて、家臣たちをひやひやさせている
といったところ。
ですがよく見ると、これは「からっぽ」とか「ぼんやり」とかいった話ではなく、むしろ「エネルギーがありあまっており、本人も制御できていない」少年の行動に見えます。
まして信長の父、織田信秀は、一代で尾張国の有力大名にのし上がった、これまた戦国時代を代表する英雄の一人。
その父親の偉大さに反発するように、日夜、若者たちの集団を引き連れて暴れまわっているとすれば、もしかするとこれは、現代でいうヤンキーのようなキャラクターだったのでは!
あるいは若者たちのリーダー格として生きていたその姿、ヤンキー漫画の主人公格のようにも見えてきます!
関連記事:戦国時代のお葬式はどんなだった?現在の葬儀の原型は戦国時代にあった!
複雑な青年期のココロのあらわれ?父親の葬儀に冷たかったその態度
そんな若き日の信長の心情をあらわしている事件があります。父親の織田信秀が亡くなった時、信長はその葬儀に、いつものような奇抜な恰好のままであらわれ、焼香をぶん投げて、帰っていってしまったそうです。
この態度の悪さに、織田家臣団は「ひどい跡取りだ」とますますガッカリした、とされています。ですがこれも、ヤンキー漫画的な、鬱屈した感情の発露のシーンと考えれば、なんだか納得もいく話ではないでしょうか?
信長なりに、父親である信秀に対しては、尊敬と憎悪とが入り混じる複雑な思いを抱いており、その感情が、葬儀における奇抜な行動として出たのではないでしょうか?
不遜な態度というよりは、とても複雑な「オトコとしての感情」の爆発のようにも見えます。
鬱屈した感情をぶつけられる父親像をむしろ義父に見出した?斎藤道三との不思議な関係
若き信長の「複雑な青年としてのココロ」をあらわすような事件は、別の場面にも見られます。これは、後に妻として迎えることになる濃姫の父、斎藤道三と初対面したときのことです。
この時、信長はいつもの奇抜なファッションで登場したものの、道三と面会する直前に一瞬で見事な正装に着替えて参上し、みくびっていた道三をギョッとさせた、とされています。
これ以降、道三は織田信長のことを「ただものではない」と見ぬき、娘を嫁に与えた上に、さまざまなところで助けを出してやるようになります。これもまた、現代風のヤンキー漫画に翻案すると、わかりやすい場面ではないでしょうか。
・ヤンキー漫画の主人公が、有名会社の社長令嬢と近づきになった
・その社長が「娘と結婚したいというそのヤンキーと会ってやってもよい」とナメた感じで言ってきた
・そこで、いつものような奇抜な恰好で面会に行きつつ、直前で突然、びしっとした背広に着替えて、相手の社長を驚かせた
・社長にたちまち「みこみのある小僧だ!」と気に入られ、娘の結婚を認めてもらえた
・それどころか、この義父からは、以降いろんな場面で、ピンチの時に助けてもらえる関係になった
まとめ:斎藤道三と信長の関係は「複雑な父と子の関係」?
このように整理してみると、信長の若き日の行動というのは、決して奇怪なものではなく、むしろ後年の活躍を予感させる「利発さとエネルギーの発露」と見えます。それにしても気になるのは、このようにして義父の関係になった斎藤道三と、信長との不思議な関係です。
斎藤道三は、その後、息子の斎藤義龍に裏切られて壮絶な戦死を遂げるのですが、その時に道三は「自分の後継者は、娘婿の信長である」と手紙に書き遺し、いっぽうの信長も、なんとか道三を助けようと、必死の援軍を出動させたりしています。
実の父親に対しては、葬儀で冷たい態度を取っておきながら、隣国にいる義父の死に対しては、やりすぎなほどうろたえた信長。これもまた、ヤンキー漫画風に翻案すると、わかりやすくなってくる点ではないでしょうか。
先の例でいえば、「自分を目にかけてくれるようになった義父の名社長に対して、実の父親に対して最後まで持つことのできなかった敬愛をついに持つようになった主人公が、その死の報をきいてあり得ないほど男泣きする展開」とでもなりましょうか。
戦国史ライター YASHIROの独り言
このように翻案すると、謎めいた信長の若き日の行動原理も、わかりやすくなってくるのではないでしょうか。もちろん、これらはすべて私の「想像」であって、実際に信長が今風のヤンキー漫画の主人公タイプであったかどうかは、実際に会ってみない以上、わかりませんが。
関連記事:桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に勝利した理由は単純に織田軍が既に強かったから?
関連記事:秀吉のDIY?墨俣城(すのまたじょう)って本当に一夜で造られた?