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大うつけと言われた織田信長は現代風にいえばヤンキー漫画の主人公?複雑な青年期の「揺れるココロ」を捉えてみる

19/08/2020


鼓膜が破れる程声がデカい織田信長

 

織田信長(おだ のぶなが
)
は若いころは「おおうつけ」と呼ばれていたそうです。うつけとは、「からっぽなひと」「ぼんやりしているひと」「たりないひと」といった感じ。その前に「大」がついているのですから、これはよほどな悪口と言えそうです。

 

信長公記_織田信長_書類

 

しかも、信長が「おおうつけ」呼ばわりされていたのは、単なる伝説ではなく、『信長公記(しんちょうこうき
)
』に出てくる話なので、おそらく史実なのでしょう。

 

西遊記の三蔵法師(はてな)

 

それにしても、後世の才気あふれる大活躍からすると、「からっぽ」とか「ぼんやり」とかいったイメージの言葉は、ずいぶんそぐわない気がします。いったい、信長のどんなところが、同時代人からは「おおうつけ」に見えたのでしょう?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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これは現代風にいう「ヤンキー」では!?奇抜なファッションであえて人々のヒンシュクを買う信長

麒麟にまたがる織田信長

 

その「うつけ」の理由というのが、若き信長の以下のような行動でした。

・父親の言うことも聞かず、いつも若者たちを引き連れて山野で遊びまわっている

・奇抜なファッションをして練り歩き、町のヒンシュクをかっている

・水泳や鷹狩りや乗馬など、荒々しいことばかりを日夜していて、家臣たちをひやひやさせている

といったところ。

 

 

ですがよく見ると、これは「からっぽ」とか「ぼんやり」とかいった話ではなく、むしろ「エネルギーがありあまっており、本人も制御できていない」少年の行動に見えます。

 

織田信秀(おだのぶひで)は信長のお父さん

 

まして信長の父、織田信秀(おだ のぶひで
)
は、一代で尾張国(おわりのくに)の有力大名にのし上がった、これまた戦国時代を代表する英雄の一人。

 

虎といちゃつく織田信秀

 

その父親の偉大さに反発するように、日夜、若者たちの集団を引き連れて暴れまわっているとすれば、もしかするとこれは、現代でいうヤンキーのようなキャラクターだったのでは!

 

ヤンキー

 

あるいは若者たちのリーダー格として生きていたその姿、ヤンキー漫画の主人公格のようにも見えてきます!

 

関連記事:戦国時代のお葬式はどんなだった?現在の葬儀の原型は戦国時代にあった!

 

 

複雑な青年期のココロのあらわれ?父親の葬儀に冷たかったその態度

父の墓に抹香を投げつける織田信長

 

そんな若き日の信長の心情をあらわしている事件があります。父親の織田信秀が亡くなった時、信長はその葬儀に、いつものような奇抜な恰好のままであらわれ、焼香をぶん投げて、帰っていってしまったそうです。

 

織田信長

 

この態度の悪さに、織田家臣団は「ひどい跡取りだ」とますますガッカリした、とされています。ですがこれも、ヤンキー漫画的な、鬱屈した感情の発露のシーンと考えれば、なんだか納得もいく話ではないでしょうか?

 

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

信長なりに、父親である信秀に対しては、尊敬と憎悪とが入り混じる複雑な思いを抱いており、その感情が、葬儀における奇抜な行動として出たのではないでしょうか?

 

不遜な態度というよりは、とても複雑な「オトコとしての感情」の爆発のようにも見えます。

 

ほのぼの日本史Youtubeチャンネル

 

 

鬱屈した感情をぶつけられる父親像をむしろ義父に見出した?斎藤道三との不思議な関係

斎藤道三の娘・帰蝶

 

若き信長の「複雑な青年としてのココロ」をあらわすような事件は、別の場面にも見られます。これは、後に妻として迎えることになる濃姫(のうひめ)の父、斎藤道三(さいとう どうさん
)
と初対面したときのことです。

 

斎藤道三

 

この時、信長はいつもの奇抜なファッションで登場したものの、道三と面会する直前に一瞬で見事な正装に着替えて参上し、みくびっていた道三をギョッとさせた、とされています。

 

悪い顔をする斎藤道三

 

これ以降、道三は織田信長のことを「ただものではない」と見ぬき、娘を嫁に与えた上に、さまざまなところで助けを出してやるようになります。これもまた、現代風のヤンキー漫画に翻案すると、わかりやすい場面ではないでしょうか。

 

・ヤンキー漫画の主人公が、有名会社の社長令嬢と近づきになった

・その社長が「娘と結婚したいというそのヤンキーと会ってやってもよい」とナメた感じで言ってきた

・そこで、いつものような奇抜な恰好で面会に行きつつ、直前で突然、びしっとした背広に着替えて、相手の社長を驚かせた

・社長にたちまち「みこみのある小僧だ!」と気に入られ、娘の結婚を認めてもらえた

・それどころか、この義父からは、以降いろんな場面で、ピンチの時に助けてもらえる関係になった

 

 

まとめ:斎藤道三と信長の関係は「複雑な父と子の関係」?

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

このように整理してみると、信長の若き日の行動というのは、決して奇怪なものではなく、むしろ後年の活躍を予感させる「利発さとエネルギーの発露」と見えます。それにしても気になるのは、このようにして義父の関係になった斎藤道三と、信長との不思議な関係です。

 

斎藤義龍に討たれる斎藤道三

 

斎藤道三は、その後、息子の斎藤義龍(さいとう よしたつ
)
に裏切られて壮絶な戦死を遂げるのですが、その時に道三は「自分の後継者は、娘婿の信長である」と手紙に書き遺し、いっぽうの信長も、なんとか道三を助けようと、必死の援軍を出動させたりしています。

 

馬に乗って戦う若き織田信長

 

実の父親に対しては、葬儀で冷たい態度を取っておきながら、隣国にいる義父の死に対しては、やりすぎなほどうろたえた信長。これもまた、ヤンキー漫画風に翻案すると、わかりやすくなってくる点ではないでしょうか。

 

先の例でいえば、「自分を目にかけてくれるようになった義父の名社長に対して、実の父親に対して最後まで持つことのできなかった敬愛をついに持つようになった主人公が、その死の報をきいてあり得ないほど男泣きする展開」とでもなりましょうか。

 

戦国史ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

このように翻案すると、謎めいた信長の若き日の行動原理も、わかりやすくなってくるのではないでしょうか。もちろん、これらはすべて私の「想像」であって、実際に信長が今風のヤンキー漫画の主人公タイプであったかどうかは、実際に会ってみない以上、わかりませんが。

 

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織田信長スペシャル

 

 

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YASHIRO

通説では「ダメ人物」とされている人について、史料に則しつつも「こういう事情があったのではないか?」と「弁護」するテーマが、特に好きです。愚将や悪人とされている人物の評価を少しでも覆してみたい!がモチベーションです。日本人の「負けた者に同情しがちな心理」大切にしたいと思っています
【好きな歴史人物】
南朝側の武将全員!

-戦国時代, 織田家(戦国)
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