小田氏治と猫の秘密!謎の肖像画が語る武将ストーリー

26/07/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

商人としてセンスを磨いていた若き渋沢栄一

 

皆様は、猫はお好きでしょうか?

 

大好きという人もいるかもしれません、かけがえのない家族という人もいるかもしれません。苦手という人もいるかもしれませんし、特にどうということもない、という人もいるかもしれませんね。

 

小田氏治 戦国時代から安土桃山時代にかけての常陸の武将・戦国大名

 

今回はそんな、動物の猫と戦国武将、色々な意味で注目してしまう常陸ひたちの国を背負って戦い続けた生涯をおくった人物、小田氏治おだうじはるのお話。
一緒に猫と戦国武将についてのお話もしていきましょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



その人生、戦いにつぐ戦いだった人物・小田氏治

謎の人望力を持っている小田氏治

 

 

さてご存知ない方にも軽くご説明をしておきましょう。小田氏治おだうじはるとは、戦乱の世を戦い、戦い、そして戦って生き抜いた人物です。

 

このお方の凄いことは何度も何度も敗北する、敗北する、ある時は落城もする、その落城も一度ではない……なのにしっかり生き抜いて天寿まで全うしたということです。戦国時代を生き抜いた人物として異色な人物ではありますが、不思議な魅力を感じずにはいられない人物でもある、それこそが小田氏治おだうじはるです。

 

 

小田氏治の肖像画には不思議ないきものが……!

 

そんな小田氏治おだうじはる、肖像画がございます。肖像画というのも面白いものです。まず面白いことと言えば、遥か昔の人物の姿が、絵を通してとは言え分かるということです。これは改めて考えてみると、結構凄いことですよね。

 

そんな肖像画にも色々とあります。それこそ恐ろしいほどに勇ましく描かれている人物もいれば、何だか顔のサイズと身体のサイズに違和感があったり……?

 

そして小田氏治おだうじはるの肖像画、本人はおかしくないのですが、その肖像画にはなんと、猫が描かれているのです。

 

 

島津義弘と猫、神となった猫たちのお話

関ヶ原から撤退をする島津義弘

 

ここで少し、戦国時代の武将たちと猫についてのお話をしましょう。一つは九州、薩摩の武将、島津義弘しまづよしひろ。彼は秀吉による朝鮮ちょうせん出兵の際に、七匹の猫を連れていったとされています。

 

猫が好きすぎて猫神社を作らせた島津義弘

 

島津義弘しまづよしひろは猫の目、瞳孔の開き具合から時間を読み、それで離れた部隊と時間を合わせて出撃をしていたと言うのです。この猫たち、五匹は戦死してしまいましたが二匹は生存、帰国を果たしました。その後、この二匹は猫神神社という神社で今も祀られて、神となったのです。

 

こちらもCHECK

猫が好きすぎて猫神社を作らせた島津義弘
猫神神社(仙巌園)とは?鬼島津義弘はにゃんこ好きだった!

続きを見る

 

 

おどろおどろしい猫の話、鍋島騒動

 

もう一つ、猫のお話を。これは通称「鍋島なべしま化け猫騒動」というお話として有名です。話をかいつまむと、嘗ての佐賀藩は龍造寺りゅうぞうじ家によって収められた土地でした。

 

鍋島直茂

 

しかしそれを家老だった鍋島なべしま家が乗っ取り、果てに龍造寺りゅうぞうじ家の最後の男子までお手打ちとしてしまいます。男の子の母はこれを恨み、愛猫に「龍造寺りゅうぞうじ家の恨みを晴らすように」と言い聞かせて自害。化け猫となった猫は鍋島なべしま家の家臣らを次々と惨殺、当主の鍋島なべしま光茂も呪い殺したと言います。

 

 

鍋島化け猫騒動の真実とは……?

 

さて、この鍋島なべしま化け猫騒動、事実は大きく異なる部分があります。そもそもとして鍋島なべしま家は龍造寺りゅうぞうじ家の分家であり、当時、龍造寺りゅうぞうじ高房の時に当主の乱心、自害、病死の連続で龍造寺りゅうぞうじ家の後継者が連続で亡くなってしまいました。

 

ここで家老を務めていた人物、龍造寺りゅうぞうじ家の分家の当主でもあった鍋島なべしま直茂が幕府からの推挙を受け、正式に藩主に任ぜられます。当主の交代は穏便に行われたものの、「龍造寺りゅうぞうじ孝房の亡霊が出た」という噂が立ち、更に折悪く直茂が病死、直茂の息子の勝茂の子が亡くなるという不幸がありました。

 

このため民衆の間で「これは鍋島なべしま家の御家乗っ取りであり、恨みから呪われたのでは」という話が挙がり、それが化け猫騒動として大きく話題となってしまったのでは、と言われています。とどのつまり、化け猫騒動、呪いが本当にあったかどうかは眉唾物である部分が大きいのですね。

 

こちらもCHECK

秀吉の熱いオファーによって肥前の大名を断るも渋々受けてしまった鍋島直茂
鍋島直茂から学べ!突然リーダーが退陣してしまった時のポスト〇〇の座の奪い方

続きを見る

 

 

猫と小田氏治、肖像画に描かれているのは

 

ではここで小田氏治おだうじはるに戻りましょう。小田氏治おだうじはる肖像画、茨木いばらき県指定文化財となっている物のお話です。この肖像画は小田氏治おだうじはるが生前に描かれたとされ、黒い法衣をまとった姿で描かれています。

 

そしてこの肖像画の、向かって右下には猫の姿も描かれています。丸くなってうずくまっている猫の姿は何とも可愛らしく、癒されるのですが……どうして猫?という人も多いでしょう。まず小田氏治おだうじはるは特に猫好きであったという逸話は聞きません。つまり小田氏治おだうじはるの猫好きが高じて、という理由ではないと思われています。

 

 

小田氏治と猫の肖像画の意味するところとは?

 

一つ想像できるものとして、敢えて「猫を配置した」というものがあります。つまり描き手、もしくは周囲が小田氏治おだうじはるに猫を並べたのです。そして化け猫騒動でもありましたが、猫は恨みを忘れぬ生き物です。「七代祟る」ということでも有名ですね。

 

更に同じくらい、小田氏治おだうじはるとは家臣や民衆から謎なほど慕われていたことでも有名です。つまり「氏治様になんかあったら末代までお返しするぞコラ!この猫が我々の誓いだ!」という主張!……というとそれは作者の妄想、とはなってしまいますが。

 

もしくは狸の仲間であるとされている猫、そして狸の「他を抜く」という意味を込めて、小田氏治おだうじはるを描くにあたっての演出、というも考えられますが、真実は未だ藪の中、であるのでした。

 

こちらもCHECK

謎の人望力を持っている小田氏治
小田氏治は何故、謎の人望や人気があるのか?魅力解説!

続きを見る

 

 

戦国ひよこライター センのひとりごと

日本史ライター セン

 

 

因みに小話になりますが、狸は金を呼ぶ=金は再生の象徴であり、猫の仲間であるから死の象徴=生と死の象徴、つまり死と再生の象徴ともされているのだとか。つまり何度も何度も復活する小田氏治おだうじはるは、狸……は難しいから、猫を傍らに置いたのでは?というのもちょこっとではありますが想像してみました。とは言え、もっと簡単に考えると、小田氏治おだうじはるの傍らに猫を置いたら何か可愛いのでは……?くらいかもしれませんし。

 

センさんのとぷんver2

 

この辺りは寧ろ、色々と不思議なまま、の方が面白いかもしれませんね。ぽちゃーん。

 

参考:小田氏十五代―豪族四百年の興亡

 

こちらもCHECK

天寿を全うして亡くなった小田氏治
小田氏治の死因とは?戦国の暗躍者、最期を探る

続きを見る

 

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

sen

自己紹介:日本史はあちらこちら、面白そう!と思った所を色々と見ていくのが大好き。どこも面白くて目移りしてしまいますが、特に戦国時代が大好物。様々な勉強ポイント……よりも、ちょっとクスっとしてしまうような小話を交えつつ、皆さんと沼にハマっていきたいと思います、どぼーん。 好きな歴史人物:織田信長 斎藤道三

-戦国時代
-