映画や漫画、小説の舞台として選ばれる事が多い戦国時代。強力な政府が存在せず都道府県単位で1世紀も合戦が続いた戦国の世では人々の価値観が現在と大きく違い、それがドラマとして視聴する時の魅力になっています。
しかし戦国の世も「地獄の沙汰も金次第」で貨幣が存在していました。そこで、今回は戦国時代の通貨単位1貫を現在価値で換算し、当時の物価を考えてみます。
この記事の目次
貫とは何なのか?
では、そもそも1貫とは何の事なのでしょうか?
私たちは昔の貨幣と言うと大判や小判が浮かびますが、戦国時代も終盤まで大判も小判も通貨として流通してはいませんでした。戦国時代に流通していた通貨は銅銭で現在のコインのように円形でしたが、中心には丸ではなく四角の穴が空いています。そのような銅銭1枚を「一文」と言います。
現在は、コインでも1円から500円まで素材を変えて5種類あり、購入した品物に応じて使い分けていますが、戦国時代にコインは銅銭1種類しかありませんでした。
今で言えば、あらゆる買い物を100円玉でやるようなもので、普通の買い物でもかなり面倒ですが、これが何百万円の取引となると壊滅的な時間が掛かる事になります。そこで、当時の商人は数える手間を省くため銅銭1000枚を一塊とし、真ん中の穴に紐を通し頭とお尻を結んで「1貫」と数えるようになりました。
貫とは「つらぬく」という意で、元々は銅銭1000枚を貫いた紐の事を貫と言ったのです。
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1貫はいくらだったのか? 答え:銅銭1000枚
さて、1貫が銅銭1000枚という事は分かりました。では1貫を現在の貨幣価値に直すと、どれほどの価値があったのでしょうか?
実は、これは難しい事で物価の基準を何にするかで値段が大きく変わってしまいます。
一般的なのは、当時の人々の主食であった米の価格に換算する事なので、今回も米の値段に換算してみる事にしましょう。戦国時代は中世というカテゴリに入っていますが、当時、米一石の値段が1500文から500文の間を上下していました。これらは戦乱や飢饉が起きて米が取れなくなったり需要が高まると値段が上がり、豊作になると下がります。
一石とは重さではなく容積の事で180ℓです。分かりにくいので㎏に直すと150㎏が一石という計算になります。ちなみに当時、一石は成人男性が1年間に食べる米の量と計算されていました。
戦国期を見ると貨幣不足でデフレだった事もあり、米一石の値段は500文前後で推移しているので、ここでも米一石を500文と規定します。すると1貫は1000文なので米を二石購入できる金額という事になりますね。
次に現在の米10㎏の価格を4000円と算定すると1㎏あたりの単価は400円です。1貫あれば二石の米を買えるので150㎏×2で300㎏になり、当時の成人男性2年分の米を買える計算になりました。
すると、400(1㎏単価)×300(重量)=120,000となり1貫は12万円という事になります。また一文は1貫の1/1000なので現在価格では120円と試算されました。
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1日の賃金
戦国時代の日雇い労働の賃金は、
大工100文 | (12000円) |
鍛冶屋50文 | (6000円) |
人夫20文 | (2400円) |
などの記録があり、専門職を除くと人件費がかなり低いです。戦国時代は銭不足でデフレが起きていて、銅銭以外に米が現物支給された記録もあります。人件費の安さも通貨不足によるデフレの影響でしょう。
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戦国時代のホテル料金
戦国時代の旅籠(ホテル)の値段は、上は80文から下は20文とバラツキがありました。大体9600円から2400円の間という事で、朝食つきのビジネスホテルと素泊まりのカプセルホテルくらいの感覚と考えると近いかも知れません。
ちなみに当時の旅籠は一泊二食つきだったそうです。
旅行中のランチ料金は1人十文だそうで、1200円、こちらは現在のランチ感覚とあまり変わらない値段設定と言えるでしょう。
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当時のバスやタクシー
旅の途中で疲れたり荷物が重いと馬子のような運送業者を雇う事になります。こちらは戦国時代の永禄年間で80文、9600円程度しました。現在の感覚から見ると、タクシー代で1万円近く出すのは、ちょっと躊躇しますので、公共交通に関しては、戦国時代は割高だと言えそうです。
また琵琶湖横断の船賃は300文で36000円です。高いですが、当時の湖上交通は遊覧船の役割もあったようなので現在で言えばフェリーに乗る感覚で、そうだとするとそこまで高くありません。
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関所の通行料金
中世には関所というものがあり、通行する人々から通行料金としてお金を取っていました。
当初は、寺社の修繕や建立の為に臨時に関所が出来ていたのですが、何もしなくても銭が入る土地の支配者にとっては素晴らしいシステムなので何の意味もなくあちこちに設置され、物流の妨げとなり、戦国後期には織田信長による撤廃の対象となります。
そんな関所の天文年間の通行料金
商人の麻、紙、布類の荷物 | 10文(1200円) |
商人の馬 | 5文(600円) |
商人が背負う荷物3文 | (360円) |
一般の旅人と馬 | 10文(1200円) |
僧侶と現地住民 | (無料) |
これは、かなり商人を狙い撃ちした金額設定で一般の旅人の倍くらいも取られます。もちろん、商人は通行料金を品物の価格に上乗せし元を取るので品物は高くなります。
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戦国を生きる足軽1日の食費
戦国時代は戦争が集団戦術に移行し、戦いの主体は騎馬武者から名もなき足軽になっていました。そんな足軽の戦場での1日の食費は
米6合 | 6文(720円)(一合一文計算) |
味噌0.2合 | (24円)(一合一文計算) |
塩0.1合 | (12円)(一合一文計算) |
合計すると足軽の1日の食費は756円でした。これは、かなり安いですね。戦国大名は足軽1000名動員しても1日756,000円で収まる事になります。
実際はレンタル具足や槍、木綿の戦闘着、旗指物など手ぶらで参戦する足軽に付属するパーツが必要ですが、それでも、これらは食費と違い一度まとめて購入すれば使いまわしが可能なので、足軽はかなり安く動員できた事に違いはありません。
地獄の戦場働きですが、普段は雑穀を食べている足軽にとっては勝ち戦の時には白米がふんだんに食べられる美味しい場でもありました。
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年貢だけではなかった戦国の税金
戦国時代の税金というと、五公五民とか四公六民などで知られる年貢ですが、実際には年貢以外にも税金は存在していました。
地子銭: | 田地、畠地、山林、塩田、屋敷などへ賦課した税金 |
段銭: | 国家的行事や寺社の造営などで臨時に国別にかけていた税金 |
棟別銭: | 現在の家屋税、住居の数で課税 |
津料: | 港の修理や維持の費用 |
金額はケースバイケースですので明記できませんが、戦国時代の庶民が色々な名目をつけられて税金を絞り取られていた様子が分かります。
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色々な食べ物の値段
最後に色々な食べ物の値段について書いてみます。
豆腐 1丁 | 4文(480円) |
油 1升 | 66文(7920円) |
酒 1升 | 70文(8400円) |
味噌 1升 | 65文(7800円) |
塩 1升 | 4文(480円) |
お茶 1斤 | 60文(7200円) |
砂糖 1斤 | 144文(17280円) |
鰯 2匹 | 1文(120円) |
大鰺 1匹 | 1文(240円) |
鰹 1尾 | 12文(1440円) |
豆腐や塩は安いですが、酒や味噌、油やお茶は現在に比較して割高ですね。
日本史ライターkawausoの独り言
以上、戦国時代における一貫の価値を現代価格に直して考えてみました。戦国期は中国から銅銭が入って来ず、通貨量が不足し、それがデフレを招いた影響で人件費や米の値段が低く推移していました。
しかし物価が安いという事は、売り上げが多くないという事であり、儲けが少ないと人件費もあがりません。この状態を受けて織田信長は撰銭令を出し、粗悪な銅銭でも公定価格をつけて良貨と差をつけて流通させる事で通貨量を増やしてデフレを解消してゆるやかなインフレに転換。
さらに銅銭の量で困らないよう、高額決済には日本で豊富に産出される金や銀を使う三貨制を打ち出していく事になり、江戸時代の通貨制度のモデルとなります。
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