坂本龍馬といえば、幕末の映画やドラマでは必ず出てきますよね。常識にとらわれない柔軟な発想で幕末を駆け抜けた偉人として知られる龍馬ですが映画やドラマが触れないところでは、かなり悪どい事をしているってご存知ですか?
坂本龍馬の凄さを編集長が語ります!
この記事の目次
下級武士のボンボンとして誕生
坂本龍馬は土佐の郷士坂本八平の次男として産まれます。
当時の土佐は南アフリカのアパルトヘイト並みに上級武士と郷士に身分差があり、龍馬の仲間は貧しさと差別に苦しめられていましたが、龍馬の家は本家が裕福な商家で八平は分家の時に十分な財産を分けてもらい、龍馬は何不自由のない生活を送り江戸にも自費で剣術修行に出ました。
坂本龍馬は苦労知らずのボンボンだったのです。
勝海舟の弟子になる。
江戸に出た龍馬は剣術修行の傍らで実家の仕送りを使って、当時日本一の蘭学者と言われた佐久間象山の弟子になり砲学や蘭学、漢学を学んでいます。
その後、龍馬は一度土佐に帰って、また江戸に戻ってきて窮屈な土佐を嫌って脱藩。尊王の志士となり開国派の幕臣、勝海舟の弟子になりました。
勝海舟は晩年に、「坂本龍馬は俺を斬りに来て弟子になった男サ」と言い、それがドラマや映画のエピソードになっていますが、佐久間象山に学んだ龍馬が開国派の勝海舟を斬る事はありえないのでホラ話でしょう。
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激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末」
幕末の最強スキル航海術を学ぶ。
勝海舟はホラ吹きで毒舌家ですが、毒蝮三太夫のように弟子に面倒見がよい人で、坂本龍馬を当時、神戸に出来たばかりの海軍学校、海軍操練所に入れて航海術を学ばせます。
当時、西洋の船を動かせる日本人は、ごく一握りしかいませんから龍馬のスキルは飛躍的に高められた事になりました。ところが、神戸海軍操練所は勝海舟が過激派テロリストを塾生にしていた事が幕府にバレて閉鎖、海舟も軍艦奉行をクビになり江戸に送還される事になります。
これはヤバイ…龍馬は航海術も中途半端なうちに、浮浪者として路頭に放り出される事になりますが、勝海舟という人はとても面倒見がよい人で、親しかった薩摩藩家老、小松帯刀に龍馬と浪人一行を預けました。
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仮免以下の航海術でワイルウエフ号を沈没。
薩摩藩が薄汚れた子犬のような坂本龍馬を拾ったのは、龍馬が航海術を学んでいて、自分達が運び屋として使うのに役に立つかも知れないと思ったからです。
でも、龍馬は実質数カ月しか海軍操練所にいないので、自動車の仮免以下の操舵技術しかありませんでした。
例えば、薩摩藩からの援助で購入した自前のワイルウエフ号を長州藩の船ユニオン号で曳航していた時、暴風雨に遭遇。共倒れを避けるためにロープを切りユニオン号は避難出来ましたが、ワイルウエフ号は、そのまま沈没し池内蔵太以下12名の乗組員が事故死します。
ユニオン号は長州藩の名義の船でしたから、第二次長州征伐が終わると長州に引き渡し、亀山社中は海運会社なのに船がない開店休業状態に陥りました。
ここで龍馬は薩摩藩に泣きついて、なんとか大極丸という船を借りますが契約のゴタゴタで操業不能になり、龍馬の亀山社中は赤字を垂れながす不採算事業として薩摩藩に切り捨てられ、龍馬はまたしても路頭に迷います。
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金ヅル捕まえ海援隊を結成。
中途半端なスキルしかない部下を抱え、また路頭に迷った龍馬ですが、ここでタイミング良く、脱藩した土佐藩で参政を務める後藤象二郎が龍馬と部下を丸ごと抱えたいとオファーしてきました。
坂本龍馬は第二次長州征伐でユニオン号を操り、幕府軍艦に砲撃して長州を援護した事があり、後藤象二郎は土佐に足りない海軍力を坂本龍馬とポンコツスタッフで補おうとしたのです。
こうして、土佐藩の外郭団体になったのが有名な海援隊で、龍馬の盟友の中岡慎太郎の陸援隊と合わせ、陸海軍として土佐藩を支えました。
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アタリヤになり150億円をせしめる。
海援隊を組織した龍馬は有名な大政奉還に関与するのですが、実際にはその裏でアタリヤのような事件を起こして紀州藩から大金をせしめています。
当時、海援隊は大洲藩から一航海500両でいろは丸というボロ蒸気船をレンタルし商売をしていましたが瀬戸内海で紀州藩の蒸気船の明光丸と衝突。またしても船を沈没させてしまいます。
この事故は、いろは丸が明光丸の進路を横切り、また義務であった夜間の舷側灯を点灯させていないなど、当時の国際航海法である万国公法に照らしても海援隊が100%悪いのですが、龍馬は、小船のいろは丸を大きな明光丸が沈没させ救助もしないで逃げようとしたとデマを流しました。
今風に言うと…
「高級官僚が事故を起こしても上級国民だから起訴されないんですかー?
国民はやっぱり平等じゃないんですねー?」みたいにSNSで拡散しまくるみたいな感じ
こうして、庶民感情を煽って憎しみを紀州藩に向けさせて判官びいきの世論を作り、土佐藩や薩摩藩にも水面下で加勢を呼び掛け紀州藩を示談のテーブルにつかせる事に成功。
さらに、いろは丸が沈没して確認できないのをよいことに、積み荷を水増申告し損害賠償金をつりあげ、現在価格で150億円以上をせしめました。これはヒドイ、やってる事が完全にアタリヤじゃないですか?
この時、紀州藩の交渉責任者だった茂田一次郎は、下級武士から能力と人脈で勘定奉行まで出世した苦労人でしたが、アタリヤ龍馬に翻弄され仕事をクビになっています。ホントに可哀想な話です。
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坂本龍馬の生涯が9分で分る動画です!
微妙なスキルで金を出させる名人だった龍馬。
こうして、ずる賢いやり方で大金をせしめた黒龍馬ですが、賠償金を受け取る前に京都川原町、近江屋で暗殺されます。実は、この時、残された海援隊士は、龍馬を殺したのは賠償金を分捕られた紀州藩だと思い込んでいたそうで、海援隊は、自分達がアコギな事をしていたと自覚していたみたいですね。
このように坂本龍馬は、航海術という唯一役に立ちそうなスキルが中途半端という残念な人物でしたが、面倒見のよい勝海舟に拾われ、口八丁で薩摩藩の輸送を担当しては、船を次々沈没させ、それでもメンタルが折れずに土佐藩に転がり込んで海援隊を旗挙げするという、とんでもない人物でした。
金銭については、いろは丸事件で紀州藩から分捕った以外にも土佐藩に遊興費をタカリ、会計を担当していた岩崎弥太郎は、海援隊を厄介者としてとても嫌っています。大した事ない航海技術をダシに、薩摩と土佐から金を引っ張っていた坂本龍馬は、そういう意味ではタフネゴシエーターと言えるかも知れませんね。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回の話は、幕末の偉人、坂本龍馬の隠れた一面に光を当てたものです。決して、これが坂本龍馬の全てというわけではありませんので、興味を持った人は、他の坂本龍馬の動画をチェックしてみて下さい。
動画を御覧の皆さん、歴史上の偉人で裏の顔が知りたい人がいれば、コメント欄で教えて下さい。
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