日本は狭いながら色々な変化に富んだ国であり、戦国時代には群雄割拠の時代でもありました。その中で四国の雄ともなったのが、長宗我部元親。四国統一を行い、そして織田信長とも後に対立したとされる長宗我部元親。
彼のことを織田信長はこう評しました。「鳥なき島の蝙蝠」この「鳥なき島の蝙蝠」の意味について、今回は色々お話したいと思います。
この記事の目次
四国の雄、長宗我部元親……姫から鬼にランクアップ!
さてまずはこの長宗我部元親、実は昔からとっても強くて見込みがあって、将来を有望視されていた……とかではなかったようです。大人しくて引きこもり気質、そして本ばかり読んでいた彼は家臣たちから侮られておりました。そのため、付いた呼び名が「姫若子」。
それが初陣で槍をぶん回して大活躍したのですから周囲はビックリ!その活躍から「鬼若子」と家臣たちからは呼ばれるようになったと言います。
念願の四国統一と、織田家と長宗我部元親の繋がり
そんな中、22歳のときに父である長宗我部国親が急死。家督を継いだ長宗我部元親は一領具足という半農半兵の仕組みを利用してどんどんと勢力を拡大し、四国統一を果たします。
しかしそれ以前から長宗我部元親は織田信長と誼を通じていました。1575年、長宗我部元親は中島可之助を使者として織田家に送ります。何せ四国、中央から離れていますから仲良くするのもお仕事。
その長宗我部元親、奥さんが明智光秀の家臣である斎藤利光の異父妹で、それを縁に織田家と連絡を取ったとされているのです。
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織田信長「The Bats of the Island Without Birds」(※言っていません)
この時元親、自分の嫡男でありとてもとてもとっても可愛がっていた息子の烏帽子親を信長に頼みました。この事から息子、弥三郎は長宗我部信親と名乗ることになりました。
信親は長身の眉目秀麗で文武両道、礼儀正しく家臣にも慕われてるという自慢の息子で、信長も気に入ったのかこの時に左文の銘刀と名馬を与えました。が、その父親である長宗我部元親のことを織田信長はこう評しました。
「The Bats of the Island Without Birds」
そう「鳥なき島の蝙蝠」です。別に英語では言っていません。
蝙蝠のイメージである、卑怯者のイメージはどこから?何と六世紀から!
さて、蝙蝠と言われてしまうとよく言われるのが「蝙蝠野郎」「卑怯者」のようなイメージがあるのではないでしょうか。誰にでもいい顔するような人は蝙蝠、と言われてしまうことがありますね。
これはイソップ童話、卑怯な蝙蝠、というお話のイメージが強いことが理由にあります。ざっくりと説明しますと、獣と鳥が戦う中で、蝙蝠は自分が動物と羽の姿を持っているのを良いことに、勝っている方に「自分は貴方たちの仲間!」と言ってばかりいました。このことで蝙蝠は獣からも鳥からも嫌われ、暗い洞窟の中で済むことになったというお話です。
そしてイソップ童話、起源は六世紀……もしや織田信長、イソップ童話の愛読者だった可能性!?
鳥なき島の蝙蝠、その意味するところは蛙
……という風に、たまにこの鳥なき島の蝙蝠を「卑怯者」のように勘違いしているパターンも見かけますが、この鳥なき島の蝙蝠とはそういう意味ではありません。長宗我部元親は四国の雄、四国統一を後に果たす人物ではありますが、それは四国の中であってこその威光。
「鳥のいない島で威張っている蝙蝠のようだ」
井の中の蛙、そういう意味でこの「鳥なき島の蝙蝠」という言葉は使われたのです。
鳥なき島の蝙蝠とは本当に言われたのか?
さてこの織田信長の長宗我部元親評、鳥なき島の蝙蝠。有名な話でもある一方で、信ぴょう性が低いのでは、とも言われる話です。この話が載っている土佐物語は18世紀に成立したこと、同書には鬼や大蛇なども登場することから、史実性が低いとされ、後年に「そういうこと」にされたのでは……?ともされますが、真実は如何に。
戦国時代あるあるですからね、動物に例えるの。
蝙蝠なめんなよ!実はすごいんだぜ!
因みに長宗我部元親、豊臣に降り、その後の扱いも何かよろしくなく、嫡男を失ってから豹変し、晩年が悲惨な人物でもあります。そこを考えると、四国の雄は、四国だからこその雄だったのかもしれません。
正に鳥なき島の蝙蝠であった……かもしれませんが、四国の一大名、それも勢力的に強くなかった家が一代で統一を果たした、それは十分に評価されてしかるべきではないでしょうか。更に余談ですが、蝙蝠は世界的に非常に種類が多く、何と哺乳類全体の四分の一が蝙蝠です。
そして哺乳類で唯一飛べることもあって、病気の伝染力高いという恐ろしさも持ちます。そういう面から考えると……鳥なき島の蝙蝠は、実はもっと恐ろしい力を秘めていた可能性、それも面白いのではないでしょうか。
戦国ひよこライター センのひとりごと
あまりいいイメージを持たれない蝙蝠ですが、見た目は結構かわいいし、意外とどこでもいるのが特徴ですね。筆者の家は田舎ということもあって、倉庫に蝙蝠がいたことがあります。
捕まえようとして「触るんじゃない!」と怒られたことも……あれは蝙蝠が病気の伝染力が高かったからかもしれません。そう考えると蝙蝠もまた恐ろしいものです。
そういう意味で、鳥なき島の蝙蝠、鳥のいない島での蝙蝠がどれほど恐ろしいか……そんな新しい長宗我部元親像を見せてくれる作品、待ち望んでおります。ちゃぽん。
参考:土佐物語 イソップ童話
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