プレゼンテーションが得意という人はあまりいないのではないでしょうか?
しかし、逆に言えばプレゼンが得意になれば、プレゼンが得意な人が少ない以上、自分の長所が増えるという事でもあります。今回は一度のプレゼンチャンスに全てを賭けて、出世の糸口を掴んだ幕臣、勝海舟渾身のプレゼン海防意見書からプレゼンの極意を読み解きましょう。
千載一遇のチャンスを得た海舟
勝海舟は文政6年(1823年)小普請組という無役の貧乏旗本の家に生まれます。当時の幕府は泰平の空気に慣れ、身分制が硬直化、世襲の高級官僚が政治を動かしている状態でした。
そんな中でも海舟は、迫りくる西洋列強の脅威を感じ取り、剣術の修行と蘭学を並行して学び、蘭学塾を開く程になりますが、貧しさは相変わらずで30歳を迎えます。風雲急を告げる世界情勢に対し、特に手を打つ様子もない幕府、海舟のイライラは募り時間だけが空しく流れていきました。
しかし、嘉永6年(1853年)日本史上の大事件ペリー来航が発生。前もってオランダよりペリー来航を告げられていた幕府ですが、対策が打てないままに黒船の脅威を目の当たりにし狼狽します。
当時の幕府の老中、阿部正弘は聡明な人で、これまでの常識を破り広く諸大名や旗本・御家人、江戸の町人にまで黒船対策についてどうすればいいか?忌憚のない意見を求めました。
平時なら幕府首脳へ意見するなど考えられない低い身分の勝は、これを千載一遇のチャンスと捉え渾身のプレゼンを書き上げて提出します。
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海防意見書の内容
では、勝海舟が上書した海防意見書とはどんな内容でしょうか?
以下で箇条書きで解説しましょう。
海防意見書の内容 | |
1 | アメリカの黒船が来航し江戸の内海深く乗り入れ 無断で測量しているのは無礼な事である。 |
2 | わが国の軍事制度は時代遅れになり、 外国はこれを侮り軽蔑している。 (侮りの原因は幕府にもある) |
3 | 現在の急務は兵制改革、軍法、兵の訓練の三本柱、 そして、江戸湾の要塞化にある。 |
4 | 現在、富津、観音崎、猿島を警備しているが 敵の軍艦の機動力を考えると防備は厳しい |
5 | 大森羽田、品川、佃島、お台場、深川、芝、浜御庭に 砲台を築き十字砲火で対応すれば江戸は守れる |
6 | 国防に軍艦は不可欠だが 動かす人間がいなくては役に立たない。 現状は慌てずに要塞構築で時を稼ぐべき |
7 | 人材を育成し、工業を起こして軍艦建造が出来れば、 沿海の島は奪われても取り返せるので心配無用 |
8 | 全ての施策を一度に実行できないので 手順を踏み着実に進むのが大事。 |
勝海舟の意見書は、このように、これまでの幕府の対策を批判しながらも、現在やるべき事、そして将来に向けてすべき事を明確に区別、同時に幕府が現在行っている海防政策の誤りを指摘し、幕府の進路を示した素晴らしい内容でした。
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プレゼンの3要素を踏まえた海舟
海舟が海防意見書を出してから167年後を生きる私達にも、圧倒的な説得力を持つ海舟の意見書はプレゼンの3要素をしっかりと踏まえていて参考になります。
構成力(伝えたい内容を考える力)
表現力(相手に伝わる資料を造る力)
説得力(相手に訴え、共感させる力)
例えば、構成力ですが、
海舟は、黒船が江戸湾を我が物顔で歩き回るのは威信にかかわるから何とか遠ざけたいと悩む幕府首脳に対し、江戸湾近くに台場を複数築いて十字砲火で黒船を寄せ付けないという、幕府首脳がズバリ望むプランを提示しています。
そして、表現力では当時の江戸に住む人なら、誰でも位置が理解できる、富津、観音崎、猿島、或いは佃島、芝、品川、お台場のような地名を列記して、それらの土地をどうすべきであるかを具体的に解説しています。
最後の説得力については、圧倒的なアメリカの海軍力に領土侵犯を危惧する幕府に対し、一度に多くの事は出来ないので、第一には江戸湾の要塞化で黒船を江戸に近づけないようにして時間を稼ぎ、長期的なプランで人材育成と工業化を進めるべきとして、いかに危機でも無い袖は触れない幕府首脳の苦悩に寄り添い共感しています。
海舟の海防意見書を読んだ阿部正弘が、すぐに海舟を呼び出すように命じたのは、至極当たり前の事でした。
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反面教師 ひどすぎたプレゼン
阿部正弘の前代未聞の呼びかけに応じて、幕府には諸大名から町人、市井の学者に至るまで、800通の意見書が集まりましたが、そのほとんどは黒船の性能も日本沿岸の水深についても、ほとんど知らない机上の空論でした。
なかには、満潮時に海底に巨大な串を設置し黒船を誘い込み、干潮になったら黒船を串刺しにするという意見書や、小舟で黒船に近づいて水夫と仲良くなり、隙を見て艦上に上がって出刃包丁で異人を皆殺しにするなど実現不可能で荒唐無稽な意見も多く
かと思えば完全な精神論で、異人は怪しからんから打ち払ってしまえとか、戦争はいけないので何とか外交努力で穏便に帰国させるべきという現実の外交を知らない空想的な意見書もあったのです。
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なんと!ここまでは軽いジャブだった
実は勝海舟の意見書はこれだけではありません。ここまでは序文であり、その後に以下の抜本的な意見が書かれていました。
1 | 有能な人材を選択し現場の情報が幕府首脳に到達するシステム構築 |
2 | 軍艦を建造する費用を外国から得る為に貿易を盛んにする |
3 | 首都防衛の為に厳重な警備体制を弛まずに構築する |
4 | 旗本御家人の待遇改善と軍事教練学校、有益な海外書物翻訳所の設置 |
5 | 近代戦争を戦う為の武器・弾薬・軍需物資の製造・自給 |
この5つの提言は、ある程度幕府の政治に反映されます。海舟が登用され最初に配属されたのも、意見書④で上げたオランダ書物を日本語に翻訳する役所の人員でした。
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日本史ライターkawausoの独り言
勝海舟の意見書を読んで伝わってくるのは、自分が懸命に調査し研究した事が、どうすれば分かりやすく伝わるかという意識です。私達はプレゼンと言っても、ついつい既存のモノを流用したり、他人が書いた内容を自分ではあまり深く考えずに、そのまま引用してしまいがちです。
そんな事では、突っ込まれてもまともに受け答え出来ずにプレゼンは失敗するでしょう。大事なのは、このプレゼンが本当に役に立ち、自分でも確信を持っていて、それを伝える為に具体的で分かりやすい提案をする事ではないかと思います。
参考文献:勝海舟 海防意見書
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