江戸時代の農業には現在のような化学肥料はありません。そこで江戸のような百万都市から出る糞尿が近隣の農民に取っては色々な意味で黄金だったのです。どういう経緯か知りませんが江戸の便所の汲み取りの権利は葛西の農民が持っていました。
葛西と言っても現代の江戸川区葛西のエリアではありません。当時の葛西は広範囲で現在の江戸川区、葛飾区全域さらに、墨田区、江東区の一部が含まれていました。
よその農民は、この葛西の農民からまた買いして肥料を得ていたのです。しかし、天保年間葛西の農民が便所の汲み取り金を大幅値上げします。
この横暴に対し、他の農民は「このくそったれ!」とフンがい!農民抗争は平行線を辿り、長期間便所の汲み取りが完全に停止します。これにより百万都市江戸のトイレはみるみるうちに溢れ出し、困った町民の中には、排泄物を汲みだし川に捨てる者も出ました。
これには幕府が怒り葛西の農民から汲み取り権を取り上げおわい屋という専門業者に払い下げるようになったのです。
参考文献:日本人なら知っておきたい 江戸の庶民の朝から晩まで KAWADE夢文庫
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