戦国時代

戦国時代を終わらせたのはぶっちゃけ鉄砲ではなかったって本当?

長篠の戦い(鉄砲一斉射撃)

 

戦国時代は、よく鉄砲伝来以前と以後で分ける事があります。

 

火縄銃を気に入る織田信長

 

つまり、鉄砲伝来以前の戦いは槍や弓を使う旧式の戦いで、鉄砲が伝来して以降、鉄砲足軽を中心にした集団戦にシフトし、最もよく鉄砲を使いこなした織田信長が戦国の覇者になり、戦国の世も収束に向かった。

 

でも、この認識って本当なんでしょうか?本当に鉄砲が伝来した事で戦国時代は収束したのでしょうか?

 

鉄砲は合戦を変えてはいない

火縄銃(鉄砲)

 

そもそもの問題として鉄砲は戦国時代の合戦を変えたのでしょうか?

 

鉄砲の集団運用が戦局を左右した代表的な戦いとされる長篠の戦いですが、現在では鉄砲の三段撃ちにも疑問符がつき、そもそも武田軍団は騎馬で鉄砲隊に突撃してもいません。

真田丸 武田信玄

 

長篠の戦いで鉄砲が活躍した大きな理由は、木柵を防護壁にする事で安定して敵を狙撃できた事であり、もし木柵がなければ連射が出来ない当時の鉄砲の活躍は限定的だったと考えられます。

 

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西欧でも鉄砲は歴史を変えなかった

kawausoと曹操

 

同時代においての西欧でも鉄砲の弱点は単発で連射できない点であり、鉄砲は城壁に立て籠もる側にとっての防御兵器でした。単発式の火縄銃の欠点を埋める技術革新は西欧でも16世紀には出てきておらず、火縄銃は遮蔽物(しゃへいぶつ)で敵の突撃を阻止できた場合に、ようやく威力を発揮できたのです。

 

例えば、1503年第一次イタリア戦役中にスペイン軍人ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバは、火縄銃の欠点を補う為に、土を掘って急造の(ほり)を造り手前に残土で土手(どて)を築いて二千名のアルケブス銃兵を配置し、押し寄せたフランス重騎兵団を粉砕しました。

 

また、1522年の第二次イタリア戦役でもスペイン軍の傭兵隊長のコロンナが、地形と急造の堡塁を用いた火縄銃の反復射撃でスイス槍兵を撃滅しています。長篠の戦いも、このイタリア戦役とパターンは同じであり、鉄砲は単体で敵を撃滅する程の機動性を獲得していたとは言えないのです。

 

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西欧の歴史を変えたのは大砲

複雑な大砲をいとも簡単に操縦するカフル人

 

逆に欧州では鉄砲を巨大化させた大砲が難攻不落の城塞都市の壁を破壊していき、オスマン帝国によるコンスタンティノポリスの陥落や、百年戦争最後のカスティヨンの戦いでもフランス軍の大砲はイングランド軍を追い払うのに大きな貢献をしています。

 

西欧において大砲は歴史を動かし大量の大砲を保有する君主が諸侯(しょこう)を従え絶対王政を敷く土台になりますが、火縄銃はそこまでの功績を残していませんし、日本においても、それは同じではないかと思われます。

 

亀甲船(朝鮮水軍)

 

ただ、文禄・慶長の役において日本軍は高い鉄砲保有率を活かし鉄砲足軽の集団による反復射撃を野戦で敢行し、明軍を撃破したそうですから国外においては鉄砲の集団運用は実現出来たと言えるかも知れません。しかし、これは豊臣秀吉の天下統一後の出来事であり、国内の合戦で鉄砲が戦争を変える程の活躍をしたとは言い難いと思います。

 

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戦国時代を終わらせたのはインフラ整備

部下を競争させる織田信長

 

では、戦国時代を終わらせたのは鉄砲ではなく、何だったのか?答えは簡単で土木工事によるインフラ整備でした。戦国時代に強力にインフラ整備を進めたのは足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長で、彼は道路を街道(かいどう)脇道(わきどう)在所道(ざいしょどう)の3つの企画に分け、街道は幅約6.5m、脇道は約4.5m、在所道は約2mで整備しました。

 

信長は本拠地の尾張、美濃ばかりでなく、近江、甲斐、信濃などで街道を開設し途中に並木を植えるたばかりか、尾張、瀬田、宇治などに橋を架け、天龍川にも初めて架橋しています。

 

中国大返し(豊臣秀吉)

 

信長が本能寺で倒れると、後継者の秀吉もインフラ整備を引き継ぎました。

 

島津征伐にあたり秀吉は毛利氏に命じて、山陽道から九州にかけて道路を建設させ、また、小田原征伐後、小田原と会津間に幅員(ふくいん)5.4m、道程393kmの道を沿道の庶民に施設させています。両者とも見た目の派手さにとらわれず、本当に必要な事を見抜いていたのです。

 

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基本を押さえる事が天下への早道

浅井長政が裏切りキレる織田信長

 

インフラ整備は大変にお金がかかる上に地味であり、軍記物に描かれる事も、ほとんどありません。また日本人は目新しい兵器が一気に社会を変えてしまうというテクノロジー神話が好きで地味なインフラ整備の積み重ねが天下への近道という話は好きではありません。

 

織田信長

 

戦後、織田信長は合理主義者で革新的な人物として捉えられ、信長と新兵器の鉄砲が結びついた時、科学変化が起きて長篠の戦いでの大勝利に繋がったという日本人が好きなテクノロジー神話が産み出されたのでしょう。

 

しかし、実際の信長は基本に忠実であり農地を拡大し、インフラを整備して国力を底上げする事で天下統一への道を突き進んだのであり、テクノロジ―頼みではありません。

 

第三次信長包囲網(織田信長、石山本願寺、武田勝頼、毛利輝元、上杉謙信)

 

また通常、このようなインフラ整備は天下が統一されてから開始されるものですが、信長はライバルと戦いながら並行してインフラ整備もしていた人であり、せっかちというか善意の人というか、スゴイ人である事は間違いありませんね。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

戦国時代を終わらせたのは、鉄砲ではなく織田信長のインフラ整備だった。聞いていると「なーんだ」とつまらなく感じるかも知れません。しかし、本当の為政者というのは百戦して百勝する戦争に強い人ではなく、限られた予算から、民の生活を向上させる力を常に考える人なのだと思います。

 

なにかと言えばITとか5Gとかイノベーションとか、目新しいスローガンで国民が豊かになると宣伝する政治家は多いですが、本当に重要なのは可処分所得の増加や減税や、自動車に頼らなくてもよい交通網の整備など、足元の政策ではないでしょうか?

 

参考文献:歴史の謎はインフラで解ける 教養としての土木学

 

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