幕末の薩摩藩と言えば、琉球や奄美大島から搾取した黒砂糖で富を築いて維新の原動力となった事で有名です。しかし、海外から武器を購入するのはとにかくお金がかかり、それらの多額の費用を薩摩藩がどこから出したのかで、実はイギリスが資金援助をして徳川を倒して、維新の黒幕になったという陰謀論めいた説まで浮上しました。
ところが、調べてみると薩摩藩は黒砂糖だけではなくあの手この手で倒幕資金を集めていた事が分って来たのです。
薩摩藩の資金源 黒砂糖
最初に薩摩藩の黒砂糖による収益を見てみましょう。
薩摩は江戸後期に蘭癖大名島津重豪の激しい散財で一度財政が破綻しました。
ここで登場したのが財政家である調所広郷で、彼は直轄支配地である奄美大島の黒砂糖の収奪を強化、全ての黒砂糖を藩が買入し島民の糖売買を一切禁じ安く買い叩きます。調所は同時に黒砂糖の品質を向上させ、天保以前には13,4万両だった黒砂糖の収益が改革後の天保年間には平均で235,000両に増加しました。
元治元年の大坂蔵屋敷収支決算書(鹿児島県史料・玉里島津家史料四)によると、薩摩藩の全収入1,000,049両のうち黒砂糖に関連する収入は427,122両で42%を占めていて、黒砂糖が薩摩藩の主要な財源であった事が分かります。
でも逆に言えば、残りの60%は黒砂糖以外の収益で薩摩藩が回っていた事になります。ここからは、それを見て行きましょう。
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薩摩藩の資金調達 贋金鋳造
薩摩藩の資金調達で、黒砂糖に次いで大きかったのは贋金づくりです。
藩主になった島津斉彬は、館事業と欧米列強に対抗する軍事力強化の為にお金を使いすぎ、調所広郷が蓄え父島津斉興がケチケチして倹約した余剰資金を使い尽くしました。
そして、これらの経済的埋め合わせのため、琉球国救済の資金として限定的な貨幣鋳造の許可を幕府に申請し認められます。これは琉球通宝と呼ばれましたが、贋金づくりの最中に斉彬は急死、琉球通宝の鋳造は一時停止しました。
しかし、斉彬の異母弟で藩主島津茂久の父である島津久光は、江戸に上洛する為に多額の資金を必要としていて、再び幕府に根回しして3年の期限で許可を得ます。
こうして鋳造された琉球通宝ですが、薩摩藩は同時期に形が似ていて額面が大きい天保通宝も同時に発行していました。こちらは全くの贋金であり元治元年の1年間で4,259,737貫500文も鋳造。経費を差し引いた利益は399,582両2歩2朱184文だったそうです。
これに加えて薩摩藩では文久2年から偽銀貨、慶応元年からは贋二分金を鋳造し増大し続ける軍事費に宛てていました。
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薩摩藩の資金調達 海外貿易
薩摩藩は海外との交易にも積極的でした。薩摩藩が大坂で買い付けたのは、木綿や宇治茶、昆布、木綿形付があります。大坂で買い付けたこれらの商品を薩摩藩は、英国人グラバーとレンボ、そして清人の沈篤斎の3人に売却し宇治茶は異人が買い取り最終的利潤は20899両になりました。
どうして外国人相手に木綿が売れたのかと言うと、当時は南北戦争の真っただ中で、アメリカ南部の綿織物がヨーロッパに輸出できなかったからです。
イギリス・フランスの紡績業界は、日本・中国産の綿を購入したので綿の値段が高騰し高値で販売出来ました。大坂では綿100斤が4~5両だったのに対し、外国人に販売すると17両から18両にもなったそうで、これは薩摩藩ならずとも貿易したくなる高値でした。
また、薩摩藩はオランダのゴロウル商社と生糸販売の契約を結び、ゴロウル社からドル紙幣3万枚を薩摩藩が受け取った上で生糸を購入。取引が成立した段階で利益を折半し、上海やその他の場所で売りさばくため生糸を輸送する取り決めがされていました。
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薩摩藩の資金調達 武器の売却
また、薩摩藩は文久2年から上海の武器マーケットを五代友厚に調べさせ、蒸気船やライフル銃1万挺を一括購入していました。
薩摩藩の買い付けは慶応3年まで続き、武器を新しく更新すると古い武器を幕臣や他藩に売却していたそうで、薩摩藩が発注した汽船がのちに肥後藩の所有になるような事もあり、武器や艦船の転売による利益もあったようです。
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幕末ライターkawausoのまとめ
このように幕末の薩摩藩は決して黒砂糖の利益だけに頼れる状態ではなく、増え続ける軍事費の増大に対処すべく、天保通宝の贋金鋳造や、木綿、昆布、宇治茶の海外販売。
オランダ商社と契約を結んで生糸の共同購入をしたり、型落ちの武器や蒸気船を幕府や他藩に転売するという武器商人まがいの事までしてなりふり構わずに明治維新の資金調達に奮闘していたのです。
もし、イギリスが薩摩に資金を出すから幕府を倒してくれてたら、こんな苦労して資金調達をする必要もなかったんじゃないかとkawausoは思いますね。
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