サムライジャパンや、武士道の言葉で今も世界中に知られる武士。しかし、精神的ではない実際の武士の身分は明治維新を境にして消えていきました。でも、そもそも武士って何なのか?どうして消えていったのか?
今回は近代化の中で消えていった武士について解説します。
武士の3要素
武士は誕生以来、性質が絶えず変化していきましたが、共通して言える事は以下の3点です。
1.生活の基盤として土地を所有し、子々孫々に土地を継承する事を目的とする
2.所有する土地の権利を保障してくれる主君の為に命を懸けて戦う
3.絶えず弓馬の技術を磨き戦いに出る備えがある
この3点が揃って初めて武士は武士らしいといえますが、逆に言えば3点が失われた時、武士は存在できなくなります。
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武士消滅の理由 俸禄を失った
武士は誕生した時、荘園主に養われて外敵から土地を守る傭兵でした。その後、長い年月を経て武士は武力を背景に台頭し鎌倉時代になると地頭として荘園支配に食い込み地頭請けと呼ばれる年貢の徴収義務を代行するようになります。
こうして自らの土地を得た武士は、一族郎党を武装させて所領を守り、所領を保障してくれる幕府に忠誠を尽くすようになったのです。
その後、戦国時代を経て、江戸時代になると幕府は土地から武士を切り離し土地に見合った収入を俸禄という形で与えるようになり、武士は俸禄で生計を立てるようになりますが、その総額は国家予算の37%にもなる膨大なものでした。
俸禄は、武士が土地を支配していた時の名残で労働の対価ではありません。合戦が頻繁にあった時代は合理的だった俸禄ですが、260年の泰平が続くと俸禄は、支払われるだけで何の見返りも求められない武士の既得権益になっていきました。
明治政府は歳出超過に悩み、明治9年に秩禄処分を行い俸禄を打ち切りました。こうして、武士を成り立たせていた1と2の条件が失われます。
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武士消滅の理由 軍人の役割を奪われた
武士に求められた役割は第一には主君の為に戦う事でした。封建社会の江戸では、戦争で血を流すのは武士にのみ許された名誉であり、武士以外の階層には戦争で戦うという概念は微塵もありません。実際に幕末に入りペリーが来航した時に、沿岸で防衛の任務についたのは幕臣や、幕府に割り当てられた任務をこなした各藩の藩士たちです。
彼らの中でも、若い武士には国難に対して立ち向かおうと考えた人々も多くいましたが、すでに各藩の武士が連合して外敵に対抗するのは時代遅れの時代になっていました。
西洋列強の軍隊は、その頃にはウォーリアではなくソルジャーになっています。ソルジャーは指揮官の命令に絶対服従し、味方が次々に倒れても構う事なく前進する事が求められました。ソルジャーは特定の主君に仕えているのではなく国家に仕え国家防衛の為に戦う愛国心で武装しています。
一方で、洋式訓練を受けていない日本の武士はウォーリアであり自分の意志で戦うので白兵戦は強いのですが、集団戦になると統制が取れない状態に陥ります。ましてや各藩の藩士が属するのは国家ではなく藩主であり国家に率いられる性質は有していませんでした。
また、時代はすでに鉄砲と大砲の時代であり、個々人の弓馬の腕前が戦争に与える影響は極めて小さくなっていました。それなら俸禄を支払い武士に弓馬の訓練をさせるよりも、広く国民から徴兵して、鉄砲の打ち方を教えた方が合理的だったのです。
明治政府は明治六年、徴兵令を出して士族に限らず成人した男子に兵役の義務を課しますが、それがモノになると踏んだので秩禄処分して武士を切り捨てたのです。
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指導者になった武士
こうして、1~3の特徴を全て失った武士は、俸禄の既得権益を失い額に汗して働く必要に迫られ、次第に一般庶民と変わらない存在になっていきます。一方で、武士として学問と教養を積んだ人や武芸に秀でた人は、官公庁の役人になったり、師範学校を出て教師になったり、警察官、軍人として奉職したりと庶民を指導する職に就くようになりました。
その割合は平民と比較しても高く、全人口の5%に過ぎない士族階級が旧制高等中学校の進学率で初期は6割を占めたほか、地方の校長や教員になると明治初期では80%が士族でした。
特権をなくした武士ですが、培われたプライドや俸禄を得て安定した教育を受けていた事が幸いし、それぞれの技能で明治の世を生き残っていったようです。
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日本史ライターkawausoのまとめ
武士が消えてしまった理由を簡単にまとめてみました。封建社会の代表者であった武士は国民国家とは相性が合わず既得権益である俸禄を失い自慢だった弓馬の腕前も鉄砲と大砲の時代には役に立たずに身分としては消滅します。
しかし、俸禄を得ていたが故の安定した生活の中で培われた学問や文芸や武芸は再就職についても有利に働き、一部の武士は官公庁、警官、教師、軍人として再就職、国民を指導する立場になり明治の世を生き残っていく事になりました。
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