NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人第24話「変わらぬ人」では、頼朝が暗殺されたと早合点して二代目の鎌倉殿を名乗ろうとしたとした範頼(蒲殿)が謀反の疑いをかけられる事になります。
すでに猜疑心の塊になっている頼朝に対し、範頼は起請文を書いて、潔白を証明しようとしますが、そもそも起請文とは何なのでしょうか?
神仏を保証人にする起請文
起請文とは、現在の誓約書や契約書の事です。文書で取り決めを残して、取り決めを破った場合には契約の解除や違約金の発生、ケースによっては法的措置を取られる事を取り決めたりします。
ただ、鎌倉時代の起請文と現在の違いは、契約を破った時に法的にうんぬんではなく、自分が信仰する神仏の罰が当たってもよいとした点で、立ち会い人は法律ではなく神や仏である点が違います。
鎌倉時代の人々は非常に信心深く、常日頃から神仏に願をかけ、本当に罰が存在すると信じていたので起請文にも一定の拘束力があったのです。
蒲殿の起請文の内容とは?
では、範頼の書いた起請文はどんな内容なのでしょうか?
大河では全文が読まれる事はないと思うので、吾妻鏡に掲載された起請文を、現代文に直して紹介しましょう。
謹んでここに誓いを立てます。
起請文について
私は鎌倉殿の代官として、度々戦場へ向かいました。朝廷の敵を平定し忠義を尽くし、一度たりとも二心を抱いたことはありません。
鎌倉殿のみならず、鎌倉殿の子々孫々将来に至るまで忠義を全うしたいと考えています。私が鎌倉殿の御心に従い、忠義を尽くしてきた事は、鎌倉殿から受けた激励の手紙にも書いてあり、それらは文箱の底に大事に仕舞ってあります。
私は、鎌倉殿の信任を得ていると嬉しく思い、殊更に忠義、忠義と口にせず胸の内に仕舞って懸命に仕えてまいりました。
それが、今になって、突然に私の忠義をお疑いになられたと聞き、哀しく空しい思いで一杯で御座います。私は、今もこれからも決して鎌倉殿の忠義に叛かぬよう、この起請文を子孫にも伝え不心得者が出ないように致します。
万が一、この起請文に嘘偽りがあったのであれば、上界は梵天、帝釈天、下界では春日大社、伊勢神宮、賀茂神社、源氏の御祭神である正八幡大菩薩の神罰が私に下っても構いません。
ここに謹んで起請文をお納めします。
建久四年 八月 参(三)河守源範頼
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起請文に難癖をつける大江広元
どうやら範頼が謀反を企んだ証拠はなかったようです。困った大江広元は、範頼が起請文の最後に三河守源範頼と書いた事を批判しました。
源姓は河内源氏棟梁、頼朝様の血族のみが名乗れるのであって、御家人の1人に過ぎない範頼が名乗るのは自惚れが過ぎる。全然謙虚じゃない!野心が満ち満ちているので、起請文の内容もどうせ嘘なのだろうと難癖をつけたのです。
この難癖に対し、大夫属重能と言う人を呼んで範頼が無礼である旨を伝えると、重能は
「それはオカシイ、範頼様は源義朝公の御子息であり、頼朝公の弟で源の姓を使う事は差支えありません。そもそも範頼様に九州平定を任せた時、鎌倉殿みずから、私の舎弟である三河守源範頼が朝敵追討に向かいますと朝廷にも文書を出しています。
範頼様は前例にならったのであり、自分勝手に源範頼と署名したのではありません」と反論。
全くの正論で、広元は何も言い返せず、鎌倉殿の意向はそうなのだから、お前は黙って範頼に伝えよと命じて、引っ込んでしまいました。この一連の経緯を見ても、範頼に謀反の考えはなく頼朝が自分の死後を考え、頼家の為に、範頼を排除したと考える方が自然です。
範頼は無期限で伊豆に流され、後に殺されたと伝わります。
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起請文に使用された熊野牛王符
起請文は鎌倉時代以後も、契約書の性質を帯びて使われ続けますが、鎌倉中期には、熊野三山から発行されている神札、熊野牛王符の裏に起請文を書くようになります。
熊野牛王符は、本来お札で効能は火災を止めたり、病気を治したり、泥棒除けや酔い止めなど何でもありなんですが、この熊野牛王符の効能が契約の効力も保障すると考えられ、戦国時代に入るとより一般的になります。
熊野牛王符で誓った約束をやぶると、熊野のカラスが一羽死に、その後、誓いを破った人も血を吐いて死んで地獄に落ちると信じられていました。そのリアリティある不気味な描写に信憑性を感じたのか、熊野牛王符起請文は大いに流行します。
有名なケースでは、豊臣秀吉が死に臨んで五大老を集めて、必ず秀頼を支えるとする血判状を取っていますが、あの血判状も熊野牛王符なのだそうです。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は、蒲殿、源範頼が頼朝に出した起請文について解説しました。神仏に誓って書いた事に嘘はないと証明する起請文ですが、猜疑心に憑りつかれた頼朝には効果がなく、範頼は失脚し義経と同じような最期を辿る事になります。
やはり有能だと頼朝の猜疑は免れないので、全成殿くらいの中途半端が丁度よいですね。
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