室町時代

湯起請とは何?熱湯風呂の百倍過激な審判方法

Zeus(ギリシャ神話-ゼウス)

 

現在の日本の裁判では、少なくとも自白以外の証拠がないと有罪にする事は出来ない仕組みになっています。一方で古代はどうだったか?というと、そこでは神を立会人として、裁判の当事者同士が熱湯の中に手を突っ込んで石を拾い神棚の上に置き、その後の火傷の度合いでどちらが嘘をついているか判断する湯起請(ゆぎしょう)という裁判がなされていたのです。

 

今回は、冗談抜きで命懸けな湯起請について解説します。

 

湯起請の手続き

京都御所

 

湯起請の手続きは、まず審理を受ける当事者2名が、それぞれ自分の主張が事実であると当事者の前で誓います。その上で神に審議を問うという形で2人が同時に熱湯の中に入った石を取り出して神棚に安置し、当日、あるいは数日後に焼けただれを見て、これがより少ない方の主張を正しいとする裁判の方法です。

 

ただ、いかに火傷が少なくても、石の取り出しに失敗したり棚に安置する事に失敗すると、その場で「失」ありとされて敗訴が確定します。もし、火傷の程度が同じだった場合には、双方折半とされる決まりになっていました。

 

湯起請は主として土地の境界を巡る争いに採用されましたが、刑事事件でも嫌疑者個人に湯起請をさせたケースが残っているようです。

 

古代の盟神探湯を起源とする湯起請

book-Suikoden(水滸伝-書類)

 

この湯起請の起源は日本書記の記述によると古代に遡ります。4世紀後半の人物と考えられる応神天皇(おうじんてんのう)の9年4月に、重臣の武内宿禰(たけのうちのすくね)が、弟の甘見内宿禰(うましうちのすくね)讒言(ざんげん)を受けて殺されそうになりますが、竹内宿禰は潔白を主張しました。そこで、天皇は礒城川(しきのかわ)で盟神探湯をさせたという記録があります。

 

Bathing - 湯起請(日本の裁判)

 

この盟神探湯(くかだち)は、各自が斎戒沐浴(さいかいもくよく)し木綿の(たすき)をつけ探湯瓮(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れて正しい者は火傷せず罪ある者は大火傷を負うというものでほとんど湯起請と同じ方式です。

 

しかし、なかには壷の中に毒蛇を入れて、両者に手を突っ込ませ正しい者は咬まれないというレッドスネークカモーンなクレイジーなタイプや、お湯の代わりに泥を沸かして泥に手を突っ込んで探るという致命傷まっしぐらなタイプもあります。

 

Naga(蛇神ナーガ)

 

もちろん普通に考えて、こんな事を頻繁にしていれば火傷から細菌が入り感染症を起こして死ぬ人が続出します。そのせいかどうかは不明ですが、盟神探湯は5世紀ころから900年間、公式の記録からは姿を消していました。

 

【古代日本の誕生秘話】
大和朝廷

 

万人恐怖足利義教の時代に復活

yoshinori-ashikaga(足利義教)

 

一度は公の記録から消えた盟神探湯が湯起請という名前で復活したのは、室町時代の応永32年(1425年)で朝廷の内侍所(ないじどころ)で湯起請がされた事が薩戒記(さつかいき)に出てきます。

 

また、看聞御記(かんもんぎょき)にも永享3年(1431年)に湯起請がおこなわれた事が記されています。室町幕府6代将軍足利義教は、自身が籤で選ばれた将軍ゆえか、湯起請やくじ引きによる裁判を実施しています。

 

yoshinori-ashikaga-lottery(くじ引きで将軍になった足利義教)

 

ただし、湯起請やくじ引きの解決方法は土地の境界問題や朝廷関連の裁判に限られ、守護の人事や軍事面では実施しませんでした。性格の苛烈さから万人恐怖として室町屈指の独裁者のように言われている義教ですが、実は義教の時代に幕府の民事訴訟は整備・拡充され、朝廷や寺社よりも幕府の法が優越するという状態を作り出した人物でもあります。

 

また、義教の名誉のために誤解のないように書くと、湯起請は物証やら証言が出尽くした上で、なおどちらが正しいか分からない場合に取られた措置で、決して神頼み感覚でホイホイおこなわれたものではありませんのであしからず、、

 

室町時代の湯起請のやり方

Rakuichi-Rakuza(楽市楽座)

 

室町時代の湯起請では、まず神前に当事者、奉行衆、公人などの幕府側、巫女、陰陽師が集まり、巫女のお祓いの後に神前で湯を沸騰させて、予め引かれた籤の順番に当事者の代表一名(取手)が起請文を書いて焼いた灰をのみ込んだ後に湯の中の石を取り上げて神棚に置きます。

 

seimei-abeno(陰陽師-安倍晴明)

 

取手はその後、3日間、湯起請がおこなわれた神前に留置され、3日目に奉行衆立ち会いの下で双方の火傷の調査がなされ、火傷が一方だけに現れたらその一方を敗訴。両方に火傷が認められたら、どちらも失ありとして、土地なら土地、動産なら動産を幕府が没収。双方に火傷がないなら失なしとして半分で分けていました。また、当事者の一方が湯起請の呼び出しを3回無視したら、起請に叛いたとして敗訴になります。

 

野蛮に見える湯起請にも効果が・・

 

一見すると野蛮に見える湯起請ですが、火傷の傷で死んでしまう事も珍しくないので、よほどの自信がないとできない行動でした。必然的に疚しいものを抱えている側は、湯起請と聞くと及び腰になり、訴えを取り下げて裁判が終わるという事もあったようです。

 

仮に、疚しい気持ちで湯起請に挑んでも、覚悟が弱いために熱湯からすぐに手を出してしまい敗訴になったり、石を取り損ねて落とすというような事もおこしやすくなります。もっとも、それでもツラの皮が厚く、死のリスクをものともしない強欲な人間には通用しなかったでしょうけどね。

 

江戸初期には廃れ、湯立てという神事に

 

湯起請は、江戸時代初期には訴訟の形式が整備され、合理的な考えが広まった事もあり、公式にも民間からも廃れていきました。その後、湯起請は湯は神聖なものという民間信仰と融合して、湯立てという儀式に姿を変えていきます。湯立ては、祭りの場で大釜に湯を沸かし、巫女や氏子が参加者に湯を掛ける事で、無病息災、悪霊退散などの御利益をもたらすという考えに変化していきました。

 

日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

今回は湯起請について解説してみました。このような、熱湯や焼けた金属を掴んだり、手を入れるような行為は世界中に見られ、いずれも嘘つきは火傷をし、正しい者は火傷をしないとして判断基準になっています。

 

科学的な証拠や合理性は、ある程度の教育が無いと理解が難しいので、無学文盲な人が大多数を占めた昔は、難しい事を言わずに神に判断をゆだねるとして湯起請のような事が世界中でおこなわれていたようです。

 

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