ほのぼの日本史チャンネルをご覧のみなさん、今週も一週間お疲れ様でした。今回もお疲れキャラは上杉謙信です。
武田信玄の深慮遠謀に対し本能で動く上杉謙信
武田信玄とはライバルとして扱われ信玄の深慮遠謀に対し謙信は本能で動く直情の人とされやすいですがなかなかどうして謙信も気配りの人でした。
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上杉謙信の制止を無視した中条与次と吉江喜四郎
謙信が加賀国境の朝日山砦を攻めている時の事。ここは根来衆が加勢に入り、大量の鉄砲で上杉軍は大苦戦していました。しかし、この時に上杉軍にいた二人の若侍、中条与次と吉江喜四郎が謙信の制止を無視して少数で砦に近づき鉄砲の集中砲火を受け死傷する事件がありました。
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激怒した上杉謙信
それを知った謙信は激怒。自身は足が悪いので小島という家臣に命じて中条与次と吉江喜四郎を前線から引っ張ってきて監禁しました。
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与次と喜四郎の父母にそれぞれ手紙を書く上杉謙信
そして、謙信は与次と喜四郎の父母にそれぞれ手紙を書き「若侍2人が血気に逸って私の言う事も聞かずに命を粗末にしようとしたので、殺してしまってから両親に恨まれてもならぬと思い、今は監禁して手元に置いて様子を見ている。不名誉な事だが死ぬよりはマシなので悪く思わないで欲しい」と監禁に至った経緯について丁寧に記しています。
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戦国史ライターkawausoの独り言
特に与次については宛先が与次の老母となっていて老母の可愛い我が子を初陣で殺させては申し訳ないという謙信の優しい気配りがにじみ出ている内容です。強いだけではなく、こうした気配りがあったからこそ謙信の軍団は鉄の団結力を持ったんでしょうね。
参考文献:戦国武将の手紙 角川ソフィア文庫
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