戦国大名にとって一番の重大事。それは、隣国との戦争に勝ち領土を保全する事…ではありません。勝敗は兵家の常というように、一度も戦に負けた事がない戦国大名はいませんでした。
勝敗が曖昧な戦国時代の合戦
また、実際の合戦は落城のような劇的なモノでない限りどちらが勝って負けたのかよく分からない曖昧なものが多く双方は盛んに自分達が勝ったと宣伝するのに熱心でした。それより何より戦国大名が疎かにできないのが頻繁に持ち込まれる訴訟の決裁でした。
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戦国の世は自力救済の時代
戦国の世は自力救済の時代でトラブルは力づくで解決するのが普通でした。しかし、それを放置していたのでは領国内の村々、あるいは配下の国衆で頻繁に争いが起こり、戦国大名は結束して外敵に備えられないですし税収も減る一方でした。
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戦に弱くても訴訟だけは誠意を持って対応していた戦国大名たち
だから戦に弱くても、訴訟については戦国大名は自ら裁き、それも誠意をもって対応し国衆と領民の信頼を勝ち得る必要がありました。
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オフ期間中も忙しかった武田勝頼
そんな苦労話が武田勝頼にあります。ある時、勝頼が志摩の湯で湯治をしていた時、信濃から長期間訴訟を続けている2つの村の代表が勝頼に何とかして下さいと押しかけてきました。本来なら貴重なオフの日に他人のもめ事なんか聞きたくないのが人情ですが勝頼は嫌な顔もせずに、2つの村の言い分を真摯な態度で聞いていたそうです。
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父・武田信玄もトイレ時にも訴訟を持ち込んでいた
勝頼の父である信玄も憩いのトイレタイムの時にまで訴訟を持ち込んで決裁していたそうで戦国大名にとって一番大事なのが訴訟の処理である事が分かります。
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