梅毒とは?戦国武将を苦しめ21世紀も増加傾向の性感染症の真実


忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

現在、日本で猛威を振るっている性感染症が梅毒(ばいどく)です。梅毒なんて戦前の病気でしょ?という認識の人も多いと思いますが2021年には全国で7983人の患者を確認。

 

今年は半年で5000人を突破し年間1万人を超える見通しです。すでにペニシリン系抗菌薬もあるのになぜ梅毒は日本で増加し続けるのでしょうか?

 

そこには爆発的に梅毒が増えた戦国時代と同じ共通点がありました。

 

大航海時代が世界に広めた梅毒

ガレオン船(世界史)

 

梅毒は元々、限定された地域でのみ確認された風土病でした。実際、15世紀以前の人骨には梅毒による向こう(すね)脛骨(けいこつ)の変形は見られないようです。

 

しかし、欧州が大航海時代を迎えると西洋人の船乗りが風土病だった梅毒に感染。船が寄港する各地の港町にあった売春宿を介して感染者が激増します。東アジアでは最初に西洋人と接触した琉球人と中国人の間で梅毒が流行、次いで戦国時代の日本に梅毒が流入したと考えられます。

 

当時日本では梅毒を唐瘧(からおこり)琉球瘧(りゅうきゅうおこり)と呼んでいた事が感染経路の広がりを裏付けています。

 

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どうして梅毒は感染爆発するのか?

 

性感染症である梅毒はどうして爆発的に感染するのでしょうか?

 

大きな理由は梅毒の潜伏期間です。梅毒は感染してから3ケ月後に性器周辺にコリコリした赤い斑点(はんてん)が出てきて、やがて(うみ)を持ち潰れて消えます。

 

これを初期硬結(しょきこうけつ)と言いますが、痛みもなくやがて消えるので治ったと誤って認識する人が多いのです。あるいは鼠径部のリンパ節に腫れを感じたりする場合もありますが、こちらも特に痛みがなくしばらくすると消えます。

 

 

一度消えたかに見えた梅毒は数年の潜伏後、全身に赤い発疹、薔薇疹(ばらしん)を生じます。ここでようやく身体の異変に気づいて病院受診する人が多いのですが、この数年の間に感染者は性交渉を通じて周囲に梅毒を広げてしまうのです。

 

これこそが梅毒を引き起こす病原菌トネポレーマ・パリダムの罠で、梅毒が恐るべき速さで広がる理由でした。

 

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はじめての戦国時代

 

 

性に寛容な日本で梅毒は爆発的に増加した

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

いくら梅毒でも決められた相手とだけ性交渉を持つぶんには広がっていく事はありません。

 

それが戦国日本で爆発的に増加した理由には、性に寛容な日本社会がありました。当時、日本にやってきた外国人宣教師の記録には、日本人は純潔(じゅんけつ)貞操(ていそう)に価値を見出さず、不特定多数の相手と関係を持つ事も普通であると書かれています。

 

明智軍記_明智光秀_書類

 

また、当時の日本の支配者である武士階級は家を存続する事が第一の目的なので、出来るだけ多くの子供を残そうとし、正室以外に多くの妾を持つ事が普通でした。これは梅毒にとっては好都合な社会であり、日本で梅毒が大流行する原因になったのです。

 

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意外に多い梅毒で死んだ戦国武将

名古屋城

 

戦国武将も梅毒から逃れる事は出来ず、加藤清正(かとうきよまさ)結城秀康(ゆうきひでやす)前田利長(まえだとしなが)浅野幸長(あさのゆきなが)黒田孝高(くろだよしたか)が梅毒に感染していたと考えられます。多くは憶測の域を出ませんが、家康の子である結城秀康は、梅毒の進行で鼻の軟骨が腐って鼻落ちしたそうなので確実な末期梅毒であったと考えられます。

 

梅毒が性感染症であることは戦国時代には分かっていませんでしたが、それが性交渉を通して感染する事は経験則として知られ、徳川家康は遊郭を決して使用しない事を自らに戒めていたそうです。

 

忙しくて過労で倒れる明智光秀

 

もっとも梅毒は潜伏期間が長く、10年以上をかけて死に至る事も珍しくないので、梅毒に感染していても別の理由で死んだために梅毒による死を免れた戦国武将も多くいたかも知れません。

 

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江戸時代日本の梅毒罹患率は50%

 

江戸時代日本でも梅毒は流行し続けました。

 

特に江戸は単身の出稼ぎ労働者によって構成されていたので、極端に男性が多く女性が不足し性欲の処理装置として遊郭が発展。爆発的に梅毒患者が生まれ、一説では江戸人口の50%が梅毒に罹患(りかん)していたとも言われています。

 

江戸時代中期の蘭学医で「解体新書」の著者、杉田玄白(すぎたげんぱく)は経験として1000人の患者のうち7~800人は梅毒だったと回顧し、幕末に日本にきたオランダ人医師のボンベは日本人には夫婦以外との性交渉に対する罪悪感がなく、遊郭でも性病対策は一切取られていないので梅毒は一般家庭に蔓延していると記述しています。

 

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SNSが梅毒の感染爆発ツールに

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かつては死病と恐れられた梅毒ですが、抗菌薬であるペニシリンの発見により早期であれば問題なく治療できる病気になりました。

 

同時に梅毒の恐ろしさも周知され感染者数も減り続けていましたが、ここ数年で一転して増加に転じています。大きな理由としてSNSが爆発的に普及した結果、これまでは会う事がなかった人同士が気軽に連絡を取れるようになった事が挙げられます。

 

戦国時代も、航海術の発達でそれまで出会う事がなかった世界中の人間が出会えるようになり、風土病だった梅毒も世界にバラまかれたのですが、SNSも他人との接触のハードルを下げて梅毒が広がりやすくする事に一役買っているのです。

 

これが戦国時代と21世紀の共通点と言えるでしょう。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

梅毒は性交渉だけではなくキスでも感染するほど感染力が強いので避妊具を使っていても100%感染を防ぐ事は出来ません。また、一度感染しても生涯免疫がつくという事はなく、治療して完治しても梅毒感染者と性交渉すればまた感染してしまいます。薬で治るからと安易に考えない事が重要です。

 

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カワウソ編集長

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-雑学(戦国時代)