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武田信玄と徳川家康に仕えた河野水軍の一派がいた!原因は承久の乱にあり?

30/12/2024


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

羽柴秀吉によって滅亡した河野水軍と河野通直

 

伊予国(現在の愛媛県)の守護も歴任した河野水軍でしたが、1585年(天正13年)に、羽柴(豊臣)秀吉の「四国攻め」によって滅亡しました。しかし、分家の末裔は数多く、後世に生き残ったと言われています。

 

singen-takeda(武田信玄)

 

その中でも注目すべきは、「武田信玄(1521年〜1573年 )」と「徳川家康」に仕えた河野一族の者がいたということなのです。調べてみましたので、ご紹介します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武田信玄の傘下に入った河野水軍?

反乱 モブ 戦争

 

伊予水軍として名を馳せた河野一族は、戦国時代末期、本家の血筋は、確かに滅亡したのですが、戦国時代を生き抜き、江戸の徳川時代に入ってからも活躍した分家の者たちがいたようです。中でも、注目なのは、戦国時代に、伊予から甲斐国(現在の山梨県)に移り住んだ河野一族です。

 

武田一門だが勝頼の時代に武田家をありのまま見限る穴山梅雪

 

 

しかも、戦国の雄として名高い、甲斐の武田信玄に仕えた者たちがいたというのです。例えば、「河野通重(但馬守【タジマノカミ】)」と「河野盛政」という人物がいました。二人とも武田信玄に仕えていたと伝わっています。

 

 

但馬守と呼ばれた「河野通重」とは?

伊予水軍最後の当主 河野通直

 

まずは、一人目の河野通重です。この名を持つ人物は、江戸時代を通して、何人もいたという記録が残っていますが、その中で、ここで取り上げるのは、「但馬守」とも呼ばれた「河野通重」を取り上げます。1510年に生を享けた人物として伝わっています。これが事実なら、武田信玄よりも約10年も年上ということになります。代々伊予国に住んでいて、通重の代に甲斐の武田信玄に仕えたということです。

 

 

自らの死を秘密にした武田信玄

 

 

信玄の亡き後、次代の武田勝頼にも仕えましたが、天正10年(1582年)の武田家滅亡後は、徳川家康に仕えたということです。それと同時に「甲州九口之道筋奉行」と呼ばれた、甲州街道や甲斐の国境付近の警備を任される役職についたようです。

 

小牧・長久手の戦い 豊臣秀吉 vs 徳川家康

 

その後、徳川家康 と羽柴(豊臣)秀吉の直接対決になった「小牧・長久手の戦い」(1584年)にも徳川勢に従い、参戦したそうです。

 

臨終

 

そして、1595年に86歳の長寿で生涯を閉じたと伝わっています。通重の子孫は、徳川幕府の旗本の身分となり、「八王子千人同心」の頭の一家として、幕末まで代々続いていくことになったのです。

 

【※ちなみに、「八王子千人同心」 とは、徳川家の直轄地となった八王子地域の警護とともに、日光東照宮や日光街道、甲州街道の警備などを担う立場でした。】

 

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武田信玄

 

 

通重より前に甲斐国にやって来ていた河野一族の存在

読み書きができた紫式部(はてな)

 

さて、ここで、一つの疑問が出てきます。なぜ、通重は、甲斐の武田信玄に仕えたのか?ということです。四国の伊予から、東国の甲斐までは、当時の感覚で言えば、かなり遠い訳です。そこで 調べてみますと、次のような事実が判明したのです。実は、通重が来るより前に、すでに甲斐の武田家に仕えていた、河野水軍の分家の者がいたというのです。

 

日本の戦国時代の弓兵(モブ兵士)

 

それは、「応仁の乱」(1467年)の頃まで遡ります。乱の後、戦国時代初期の1480年代かと思われるのですが、「河野通房」という人物が、甲斐の国に入り、武田家に仕官したらしいのです。元々、この人物は、河野水軍の「予州家」という分家の出身でした。

 

応仁の乱の混乱と同時進行で起きていた、河野水軍の本家の「河野宗家」と分家「予州家」の争いに巻き込まれないために、甲斐の国へ来たのかとも推察されます。その通房の子の「河野通政」の代になると、甲斐の当主は、信玄(晴信)の代に入り、そのまま仕えることになったようです。さらに、その子の「河野盛政(1541年〜1617年)」も信玄に仕えました。そして、この河野盛政が、注目している二人目の河野一族です。

 

天下を収めた徳川家康

 

この人物は、通重同様に、武田家滅亡後に、徳川家康に仕えました。さらに、江戸(徳川)幕府成立初期まで生き抜き、旗本として活躍した人物なのです。

 

日本史01 徳川秀忠

 

その後の「関ヶ原の戦い」(1600年)と「大坂の陣」(1614年〜1615年)の二度にわたる大戦を乗り切り、二代将軍・徳川秀忠の代まで仕えたと言われています。その子孫は、代々徳川幕府の旗本として仕えたのです。ただ、この時点では、なぜ複数の河野一族が、甲斐の武田家に仕えたのか?という疑問がまだ残っています。

 

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ガンバレ徳川

 

 

原因は、承久の乱だった?「美濃河野氏」と「信濃河野氏」の存在

北条義時 vs 後鳥羽上皇(承久の乱)

 

調べてみると、原因は、鎌倉時代前期に起きた、「承久の乱(1221年)」にあるようなのです。

 

後鳥羽上皇

 

承久の乱によって、河野一族の多くは、後鳥羽上皇方の朝廷に味方したため、敗軍となり、当主だった「河野通信」を始め、地方への配流という形で処分されました。

 

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その中で

 

美濃国二木(現・岐阜県大垣市墨俣付近)

信濃佐久郡(現・長野県臼田町小田切付近か)

 

などに配流された一族の者がいたようなのです。子孫は、そこに土着し、それぞれ、「美濃河野氏」や「信濃河野氏」と呼ばれるようになったのです。そして、そこから比較的近い甲斐の国に行き着いた一族の者たちが、すでに幾人もいたと考えられないでしょうか。

 

 

なぜなら、甲斐は、「甲斐源氏」の血を引く、武田氏の領地だったからでしょうか。そもそも、平安末期の源平合戦のときでも、河野氏は、源氏との結びつきが強かったようです。

 

鎌倉を拠点にした源頼朝

 

鎌倉幕府成立後も、源氏の将軍家を重んじていたようです。

 

源実朝

 

承久の乱の直前に、三代将軍の源実朝が、斬殺されたことで、源氏の将軍家は絶えました。鎌倉幕府に加担する理由が消えたようなものと考えられます。

 

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源頼朝

 

 

おわりに

コーノ 日本史ライター

 

さらに言えば、伊予河野氏は、今治・大三島の大山祇神社の神職を務めた「越智氏」から派生した同族と伝えられています。つまり、皇族の朝廷を重んじる傾向も強かったのです。河野一族は、平安時代以来の武家の名門と言われてきました。皇族や名門の武家の血筋を大事にするという傾向が強かった一族かもしれないと思えてきます。

 

 

【了】

 

【主要参考書籍】

 

・『徳川家康文書の研究〈新装版〉上巻』(中村孝也 著・吉川弘文館)351頁

・『中世河野氏権力の形成と展開』(戒光祥出版・石野弥栄 著)

八王子千人同心の歴史について(八王子市のWEBサイトより)

・愛媛県生涯学習センターWEBサイト『えひめの記憶』より

・『寛政重修諸家譜』

・『八王子千人同心史料 河野家文書』(雄山閣・村上直 編 1975年)

など

 

一遍上人

 

 

 

 

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コーノ

歴史好きのライターです。 福祉関係の仕事をしつつ、物書きの仕事も色々としています。 小説や詩なども、ときどき書いています。 よろしくお願いします。 好きな歴史人物 墨子、孫子、達磨、千利休、良寛、正岡子規、 モーツァルト、ドストエフスキー など 何か一言 歴史は、不動の物でなく、 時代の潮流に流される物であると思っています。 それと共に、多くの物語が生まれ、楽しませてくれます。

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