小田氏治の子孫は現在どこに?意外なご先祖様の紹介

24/12/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

小田氏治 戦国時代から安土桃山時代にかけての常陸の武将・戦国大名

 

 

ひたちの名門小田家おだけ、その小田家おだけを戦国時代に引き継いだ迷名将こそが、小田氏治おだうじはる。しかしその名将の血筋、子孫は現在どうなってしまったのか、今回はそれを追えるだけ追ってみたいと思います。そして同時に末裔だけに非ず、現在で真密やかに囁かれているご先祖様のご紹介も、今回はしていこうかと。小田氏治おだうじはるの血の行く先、来る先、何処であるか。今回もどうぞよろしくお願いします。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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常陸の名門、小田氏治の血筋は鎌倉時代から続いていた

 

さて小田氏治おだうじはるは鎌倉時代に祖を持つ小田家おだけの嫡男、父親である小田政治からその当主の座を引き継いだ人物です。とは言え、氏治が引き継いだ時にはまだ14歳の若輩であり、更には小田家おだけの敗北が重なってかなりの窮地に立たされていたと言って良いでしょう。最初からハードモード、それを如何に巧みに華麗に乗り越えるか、それが小田氏治おだうじはるの人生の見どころです。

 

 

その強さ、何度でも立ち上がりし起き上がるだるまの如し

反乱 モブ 戦争

 

 

ここで小田氏治おだうじはるの人生に付いて触れ出すととんでもなく長くなってしまうので今回はざっくりと。小田氏治おだうじはる、何が凄いかと言うと良く敗北するのです。いえ、勝つ時にはきちんと勝つのですが、負ける時は落城するほど負けるのです。そしてその強さの髄は、落城を繰り返して尚立ち上がれる強さ……不屈の闘志にこそあり!……というより普通は落城したら終わりな訳で。不思議なほどに家臣や領民に慕われて何度も何度も領地を取り戻せる小田氏治おだうじはる、その強さは良く分からない、というのが正しいところなのかもしれません。

 

 

不屈の闘志を打ち消したその男、天下人・豊臣秀吉

中国大返し ver2(豊臣秀吉)

 

 

ですがそんな小田氏治おだうじはるにも終焉はやって来ます。豊臣秀吉による小田原城攻めです。この折に、小田原攻めに小田氏治おだうじはる、嫡男の守治は参加しませんでした。当然ながらお怒りを喰らいます。小田家おだけの領地は没収とされ、大名としての小田家おだけは戦国時代の華と散り。

 

臨終

 

 

しかし氏治自身は結城秀康の客分扱いとされて生き残り、1602年に病没。ここに戦国の雄が一人、消えたのです。

 

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小田氏治の嫡男、小田守治の血筋は

 

小田氏治おだうじはるの嫡男は、小田守治。実は長男ではありませんが、兄が庶子なため嫡男とされた弟です。守治は父親と共に結城家に向かい、彼自身は結城家に仕えることとなりました。その後は越前松平家の上級家臣としてお家再興の道を進むかと思われましたが、松平忠直(まつだいら ただなお)の代で松平家自体が改易されることになってしまいます。その後、守治の嫡男である経治は徳川将軍家の武蔵に移住したとされていますが、その後は不明です。

 

 

小田氏治の長男、小田友治の血筋は

豊臣秀次

 

小田友治は小田氏治おだうじはるの庶子で、長男でした。彼自身は豊臣秀吉、そして豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)に仕えていたのですが……秀次事件によって、知行は没収に。関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)以前に徳川家康に拝謁して結城秀康(ゆうき ひでやす
)
に仕えることになったのですが、その関ヶ原の戦いで秀康に先駆けを勧めたことで家康の怒りをかい、暇を出されました。友治の嫡男である義治は福島正則の客分となるも、その後にすぐ病死したとされています。

 

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その他の小田氏治の血筋は

 

さて小田氏治おだうじはるには娘、一説には駒という名前であったとされている女性で、結城秀康の側室となっていました。小田家おだけの者が結城家を頼りにしたのはこの縁ですね。しかし残念ながら、駒と結城秀康の子に関しては伝えがなく、分かりません。

 

また友治の次男が北条家に養子に行っていたとされ、関ヶ原以降に自身が嫡流となって小田家おだけの復興を願うも、こちらも叶わず死去したとされています。このため、小田氏治おだうじはるの孫の代で小田家おだけの子孫は謎となっているのです。ただ経治の血筋がもしかしたら武蔵の地で、今もなお受け継がれているのでは……とも思いました。

 

 

 

実は始祖様が近年話題の大河ドラマに登場!

 

では最後に、小田氏治おだうじはるの血縁関係……末裔と違ってだいぶ遡ることとなりますが、そちらのお話を。小田家おだけの始祖は鎌倉時代に活躍したとある武将です。

 

鎌倉殿13人 北条義時

 

そして大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場しているあるお方です。そう、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にて、何か一人だけ胸をはだけてとってもセクシー!八田知家こそが小田家おだけの始祖なのです!
これはもしかしたら、もしかすると、もしかしてだけど……ここから小田家おだけ、始まっちゃう!?そんなことをふと考えてしまった筆者でした。

 

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鎌倉殿の13人

 

 

戦国ひよこライター センのひとりごと

日本史ライター セン

 

まあ鎌倉殿の13人では当然のことながら、常陸ひたちの名将!小田氏治おだうじはるの始祖!!!八田知家(はった ともいえ)!!!!!なんていう紹介はされていないのですが、立派に始祖様でございます。もちろん小田氏治おだうじはるが今後、大河ドラマ中に触れられることなんてないかと思います。

 

当然と言えば当然ですね。しかしそれはそれとして、この登場人物が実はあの人物の始祖……と知るだけでも、何とも面白くはないでしょうか。歴史の醍醐味、とも思いますので、小田家おだけの始祖、これからも着目していきましょう!

 

参考:小田氏系図

 

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自己紹介:日本史はあちらこちら、面白そう!と思った所を色々と見ていくのが大好き。どこも面白くて目移りしてしまいますが、特に戦国時代が大好物。様々な勉強ポイント……よりも、ちょっとクスっとしてしまうような小話を交えつつ、皆さんと沼にハマっていきたいと思います、どぼーん。 好きな歴史人物:織田信長 斎藤道三

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