飛鳥時代

どうして古代日本は仏教を受け入れたの?

聖徳太子

 

飛鳥(あすか)時代と言えば、聖徳太子が登場すると同時に、日本古来の神を信仰する豪族物部氏(もののべうじ)と、大陸から伝来した仏教を信仰する豪族蘇我氏(そがうじ)との間で宗教戦争が起きた時代として記憶している人も多いでしょう。

 

しかし、最近の説では物部氏と蘇我氏の対立に仏教はあまり関係なかったと考えられており、そればかりか仏教を受け入れた豪族も仏教そのものを理解したのではないそうです。

 

どうして古代日本は仏教を受け入れた?ズバリ!

kawauso-kirin(kawauso氏の麒麟がきた)

 

では、最初に古代日本が仏教を受け入れた理由についてズバリ解説します。

 

1 豪族物部氏は仏教を排斥したと考えられたが物部氏の拠点から仏教寺院の跡が発見され必ずしもそうではない事実が分かった。
2 仏教は新興の蘇我氏が持ち込んだ宗教で、物部氏は蘇我氏を追い落とすため仏教を攻撃した。
3 用明天皇(ようめいてんのう)が天皇で初めて仏教に帰依して死んだので蘇我氏の勢力が物部氏を上回る
4 物部守屋(もののべのもりや)は後継天皇を巡り蘇我馬子(そがのうまこ)丁末(ていび)の変で激突し敗死、物部氏滅亡。
5 仏教を受容した豪族も、仏教についてあまり知識は無く、仏教に付随して渡来してくる最新知識に興味があった。

 

以上がザックリした理由です。

以下では、さらに詳しい内容について解説していきます。

 

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仏教を排斥していた物部氏の拠点から寺院跡

白馬寺(城)

 

在来の神の祟りを恐れて仏教を激しく攻撃したと教科書で言われてきた物部氏ですが、実際には物部氏の拠点から寺院の跡が出土していて、従来の仏教を毛嫌いしていると考えられた物部氏のイメージは偏っていた事が分ってきました。

 

では、物部氏と蘇我氏の対立の原因は何かというと、急速に台頭してきた蘇我氏に対して旧来勢力の代表である物部氏が反発したという権力闘争が真相であるようです。

 

蘇我氏は渡来系の豪族であり、蘇我稲目(そがのいなめ)の時代に大臣となり、同時に仏教についても大陸で祀られているからと受容の立場でした。一方で大連の物部氏は渡来系の蘇我氏を牽制する目的で仏教に難色を示したというのが事実に近いのだとか…

 

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用明天皇が仏教に帰依した事で対立は決定的に

京都御所

 

こうして仏教は蘇我氏につくか物部氏につくかのリトマス試験紙になります。特に31代の用明天皇が重い病気になり、仏教に帰依したいと群臣に希望を漏らした時に、蘇我氏と物部氏の対立は最高潮に達しました。

 

それまで、仏教に帰依して死んだ天皇はなく、同時に用明天皇の生母は蘇我稲目の娘、堅塩媛(きたしひめ)で馬子は用明天皇の伯父に当たります。ここで、用明天皇の仏教への帰依が通れば物部氏の影響力の低下は避けられませんでした。もちろん、物部守屋は猛反対しますが、馬子は多数派工作を済ませており、オホマエツキミと呼ばれる重臣会議は全て馬子に賛成、用明天皇は仏教に帰依して病死します。

 

これで守屋は憤慨し領地の河内に戻り、用明天皇の後継者の地位を巡り、蘇我氏系豪族との間で丁末の変が勃発、物部守屋は戦死して物部氏は滅亡しました。

 

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実は仏教が何か知らなかった?

水月観音像(仏像)

 

こうして蘇我氏と物部氏の対立に利用された仏教ですが、仏教の受容を決めた蘇我氏系の豪族も仏教とは何かについてほとんど知識がありませんでした。

 

それというのも、当時の日本の信仰は素朴な先祖崇拝であり、国産みの神話で知られる通り、国土も人も動物も草木も神が産み出したという考え方で神と人の関係は近しいものでしたが、仏教は宇宙の真理を説く普遍思想でした。

 

同じ宗教でも、あまりにも方向性が違いすぎ、仏教受容派の豪族も結局、拝んでおけば御利益があるという軽い気持ちで拝んでいるだけだったようです。案外、仏教を攻撃する上で多少教義を勉強したかも知れない物部守屋のほうが、仏教には詳しかったかも知れませんよ。

 

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【次のページに続きます】

 

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