仏教がもたらす知識や技術が欲しかった
よく知らないのに豪族たちが仏教を信仰した理由は仏教に付随する知識や技術を必要としたからでした。仏教を受容すれば、それに付随して学問僧や職人や技術者が日本に渡来し、暦法や寺院建築や漢字、衣服など最新の大陸の文化が手に入るからです。
また、大和朝廷も仏教を国教化する事で、豪族の素朴な先祖崇拝を越える宗教として仏教を利用し権威で豪族を従わせようと考えていました。
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とても日本的な宗教受容
よく考えると、日本人は外来宗教にそんなに警戒心を持たず、よく考えないで受容する、世界的に見ると変な民族かも知れません。
飛鳥時代から千年が経過して、欧州からカトリックが伝来した時も、多くの戦国大名はカトリックの教義よりも、それに付随する鉄砲のような新技術や、天文学、医学、機械技術などを目的にして表面上カトリックを信仰する素振りを見せていました。
カトリックに帰依していない武士でも、弾除けになるという理由でロザリオを身につけたり聖母マリア像を購入したそうですし、中にはロザリオを身に着けた仏教徒の武士もいたそうですから滅茶苦茶です。でも、そういう日本的な宗教受容が飛鳥時代からの伝統だと考えると腑に落ちる点も多々あるような気がしますね。
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日本史ライターkawausoの独り言
仏教をファッションとして取り入れたミーハー豪族が多い一方、聖徳太子のように仏教の持つ善悪の基準を道徳として政治に取り入れ、平和な世の中を築こうとした人もいます。
聖徳太子は仏教のカルマを参考に「良い事をすれば極楽に行け、悪行を重ねれば地獄に落ちる」という概念を広めて国内の統治を円滑にしようとした人です。
当時は警察機構が今とは比較にならないほどに貧弱なので、人の心に善の箍を嵌めて犯罪を抑止しようと太子は考えたのですね。このような地獄、極楽の考え方は、21世紀の日本人にも道徳として残っているわけですから、聖徳太子の偉大さは大変なモノだと言えるでしょう。
参考文献:経済・戦争・宗教から見る 教養の日本史 西東社
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