世の中、何をするにもお金が掛かります。それは江戸時代でも同じであり、有名な赤穂浪士の討ち入りも入念な準備とお金なしには達成不可能でした。四十七士の討ち入りに掛かった経費は696両一分で一両を75000円で換算すると5221万8750円になるそうです。
このお金は赤穂藩が取り潰しになった時に、幕府に現金化を許された財産から、藩札引き換えや家臣の給料、退職金などを支払った残りでした。よく忠臣蔵はヤクザの出入りと同じなんて短絡的に結びつける人がいますが感情的にカッとなった程度で討ち入りなんて出来ないのです。
結局、これらは赤穂浪士が吉良上野介を討ち取った時点ですべて費やされていたのですが、大石内蔵助は几帳面でそれらの使途を帳簿につけていました。それによると、主君の供養などの仏事に958万円、御家再興費に490万円、江戸屋敷購入費に525万円、旅費・江戸逗留費に1860万円、会議通信費に82万5000円、生活補助費1000万円、討ち入り装備費90万円、雑費用225万円だったそうです。
考えてみれば、47名が1年間無収入なわけですから、それなりの軍資金がないと仇討ちは出来ません。赤穂浪士の討ち入りも、それなりのプロジェクトだったという事ですね。
編集長が赤穂事件の本質を9分で解説!
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