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今週もお疲れさま!島左近による500名の決死隊の逸話

13/03/2021


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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島清興(島左近)

 

ほのぼの日本史をご覧の皆さん。今週もお疲れさまでした。今回は石田三成に過ぎたるものとして有名な島左近のイラストです。

 

徳川家康vs石田三成(関ヶ原の戦い)

 

徳川家康は慶長5年9月14日に美濃赤坂安楽寺に軍を率いて到着します。このために西軍では動揺が起きて、一部の兵士が逃亡しました。事態を憂慮した石田三成の重臣島左近は「東軍の中村一栄、有馬豊氏の陣に夜襲を掛けて士気を回復させましょう」と三成に提案。

 

500名の決死隊を組織しました。しかし、それに他の部将は反対します。失敗したら、それこそ士気が低下するそうなったらどうするのだ!と言うのです。 すると左近は一切、反論せずに「左様でございますか」と言って引き下がります。

 

諸将が諦めたのかと思っていると左近は自分の形見の品を身内に送りそのまま500名を率いて夜襲を仕掛け見事に敵兵40人を討ち取る戦果を挙げて帰還しました。杭瀬川の戦いです。夜襲の直後、日付が15日になり関ケ原の戦い当日が幕を開けます。

 

奇襲の失敗は決して許されず左近の重圧は大変なものだったでしょう。拙者は話し合いをする気はないただ実行するのみだ。一度、決めたら一切逡巡しないという徹底した戦人、島左近のお話でした。

 

三国同盟を潰したあの男

 

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カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-おつかれさま