ほのぼの日本史をご覧の皆さん。今週もお疲れさまでした。今回は石田三成に過ぎたるものとして有名な島左近のイラストです。
徳川家康は慶長5年9月14日に美濃赤坂安楽寺に軍を率いて到着します。このために西軍では動揺が起きて、一部の兵士が逃亡しました。事態を憂慮した石田三成の重臣島左近は「東軍の中村一栄、有馬豊氏の陣に夜襲を掛けて士気を回復させましょう」と三成に提案。
500名の決死隊を組織しました。しかし、それに他の部将は反対します。失敗したら、それこそ士気が低下するそうなったらどうするのだ!と言うのです。 すると左近は一切、反論せずに「左様でございますか」と言って引き下がります。
諸将が諦めたのかと思っていると左近は自分の形見の品を身内に送りそのまま500名を率いて夜襲を仕掛け見事に敵兵40人を討ち取る戦果を挙げて帰還しました。杭瀬川の戦いです。夜襲の直後、日付が15日になり関ケ原の戦い当日が幕を開けます。
奇襲の失敗は決して許されず左近の重圧は大変なものだったでしょう。拙者は話し合いをする気はないただ実行するのみだ。一度、決めたら一切逡巡しないという徹底した戦人、島左近のお話でした。